ですね。note

思った事を書くノート。そんなブログ。

思い出<お気に入り

f:id:odanoura:20180522235849j:plain

最近妙に小学生の時を思い出す。


確実にブログのお題のせいではあるけども、とは言え何故に小学生の時なのかというのが残る。


確かに今、仕事の関係上、地元を遠く離れ、関東の片田舎という場所に居る。


片田舎というと、この場所が地元な方々には申し訳ないので明かせない。そもそも明かす気はない。


ちなみに、自分の地元も中々の田舎なので、決して見下しての発言ではない。


誰に言い訳をしているのかわからない展開だが、とにかく小学生の時を思い出す。


懐かしむという気持ちが発生するのは、わからんでもない。


それはきっと、間違いなくきっと、何かしらのいいイメージとして残っているからではないのかと自己分析。 

 


いいイメージ。


確かにそうかもしれない。そこそこ勉強ができて、そこそこ運動ができて、そこそこモテて、とか自分で語ってる時点でいい思い出なのだろう。


しかし、それは本当にそうなのだろうか。勝手な思い込みではないのだろうか。


思い出は美化されると言われている。恐らく本当だろう。


難しいことはわからないが、恐らく自分の過去を、過ぎてきた時間を、否定したくないのではないだろうか。

 

 


昔は良かった。


幾度と色々なシチュエーションで聞く。年配の方が常に言っているイメージがある。


やれ自分らが子供の頃は、やれ昔の子供達は大人達は、と。


その時代にも犯罪はあったわけで。それこそ解決もしていない犯罪もあるわけで。


今でこそ問題ない病気が原因で命を落としていた人もいたわけで。


なのに決して、あの時の警察はダメだの、あの時の医療はクソだだの、言ってないわけではないだろうがそれほど表に出てこない。


自分の一番輝いていた時期を否定したくないからだと思う。恐らくそうに違いない。


それと同じで自分もそう捉えているに違いない。


今現在よりも確実に不便で、不条理で、不満しかない時代だったはずだ。


なのにだ、その不便さを誇らしげに話すこともある。あ~だった。こ~だったと。


所謂、武勇伝のような話になってしまうのだろう。


つまり、こういう事だろう。

 

 

老いた


間違いなくそういうことだと思う。


いや、生きていれば必ず年を取るわけで否定できるわけもなく、する気もない。

 

 

OITA


と、無駄にローマ字にしてみたが変わらない変わることもない。寧ろ変わられたら困る。

 

 

おいた


こう書くと、それこそいたずらという意味になるわけで、もうおいたはやめなさいと叱られても仕方がない状況に気づく。

 

 

おおいた


一つ足せば、それは九州の有名な県となるが「老いた」や「おいた」との関りがあるわけはない。


そう言えば、学校の先生が無駄に「滑って転んで大分県」と連呼していたことを思い出した。

 


はっ!


決していい思い出と言えないことを思い出した。思い出せた。


おおいた最強説。なわけはない。


そもそも一つ足すのが何故に「お」なのかという疑問があるわけだ。


それこそ、「おいいた」でも「おいたた」でもいいわけだ。「おいいた」は何故か少しにやけてしまう。おいいた。


ベジータやアバータ的な雰囲気なんだろうか。

 

アバータてなんだよ。アバターだったよ。


僕は何を言っているんだ。


こんな事を考えていたと思い出すのだろうか。


いや、きっと美化できないから思い出さないだろう。


思い出せないだろう。


思い出したくもない。


おいいた


少し気にいってしまった。


ですね。