ですね。note

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過去の産物②

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※この記事は当時のブログ『そうっすね。』の記事であり、OL風に意図的に書いてあるものです。

 

『事故の行方』2010/11/8


ネットのニュースで知った。


中学生の乗る自転車と73歳の女性が接触事故。


転倒した女性は、病院に搬送された後、亡くなられたとか。


中学生も軽傷だけど、心の傷は…。


自転車のライトは点灯してたとか、片側一車線の緩い坂道とか、歩道がないとか、そんなのどうでも良くて。


事故で人が亡くなったって事実。


事故っていうと、大概は車と人とかで。


どんな状況だろうが、車が悪いわけで。


そりゃ、中には悪質な運転手とかいるから当然だけど。


でも、そうじゃなくても車側が悪となってしまう。


ましてや、人が亡くなったりした場合は特に。


誰も好き好んで事故をしているわけじゃないけど。


決めなきゃならない被害者と加害者。


責任とらなきゃならない加害者。


事故そのものの被害者と加害者と、受けた被害の被害者と加害者は違うのかもとか。


いや、決して被害者が悪いとか言いたいわけではなくて。


もちろん、加害者がどうのとかでもなくて。


決めなきゃならない現実は、あくまでも結果であって


過程がどうであれ、決まってしまうような気がして…。


もちろん、決めるのも苦しいのだろうけども。


この中学生は3年生とか。


進学とか、思春期とか、そんなのも含めて残ってしまう出来事だろうなと。


過失致死で捜査とか。


それが結果となるんでしょうね。


結果が全てって言葉、全てには言えないんじゃ…とか思ったり。


とはいえ、亡くなられた親族を考えると…とか。


何にしても事故は、失うだけ。


気をつけるが適切かアレだけど…


そう思った私です。


そうっすね。


今でもうっすら覚えてますね。どうなるんだろなんて考えたことを。


自転車がスピード出し過ぎだったのではとか言われてたけど、実際はどうだったのかとか。


どちらがどうのと言いたくないけど、決めなきゃならない現実があるわけで、それって残酷だなとか思った記憶があります。


でも、必ずそういう基準を設けて決めなきゃならないわけで、考えさせられた記憶があります。


役には立ってないけどね。


ですね。