いくら日々サイコ野郎と言われている僕であっても、普通の人としての感情はある。
てか普通ってなんだよ。いやサイコ野郎ってなんだよ。なんだろな?(え?
とにかく僕は喜怒哀楽を持っている。この表現が正しいのか分からないが、僕にはある。あるんです。
大好きなチョコをもらった時の喜。
大好きなチョコを取られた時の怒。
大好きなチョコが残りわずかになった時の哀。
快楽の楽。
(チョコ違うんかい!)
そんな話はどうでも良くて・・・
感情というと当然自分の状態を知らせてくれる手掛かり。じゃない?
そんな手掛かりと言えば疲労感。じゃない?
疲労感と言えば、有名なのが疲労と疲労感は違うってな話。じゃない?
詳しくは興味がある人が調べれば良いわけだけど、簡単に言うと疲労は状態で、疲労感は疲労を伝える手段の1つみたいな。
やりがいのある事をしてると、体は疲労しているのに気づけない。つまり、疲労感を感じずらいってな話。だから、極論を言うと過労死しちゃうよってな話。疲労感より達成感が勝っちゃって、疲労していることを知れない・気づけないってな話。有名な話。
じゃない?
(ソレええて)
僕はどっちかって言うとすぐ疲労感をガシガシ感じちゃうわけなんで、ある意味楽しくないというか、やりがいがを感じない事をしているということになるのだろうかって嫌な気分だなやんのかクソ野郎。来いよ!あん?いくら欲しいんだ?すぐ用意するぞゴルァ!
じゃない?
(今おかしいて)
とにかく
やりがいは感じてはいるけど、疲労感も半端ないわけだ。となると、結構ヤバイのか?僕ヤバいのか?となる。
ただ、自分で結構ヤバイかなって時は、だいたい涙もろくなるのが僕の中の定説だ。
こないだの正にらしくない記事の動画なんて、何度観ても泣いてしまう。どんだけ冷たいヤツなんだ疑惑だが仕方がない。泣いて自分の状況を緩和と言うべきか、改善と言うべきか、とにかく正常化しようとしているわけだ。と思う。
涙もろくなる他に、やはりイライラしてしまう。ずばり余裕がないわけだ。だからこそ、涙を流そうとするのかもしれない。本体としてはたまったもんじゃない。そんでもって溜まったもんじゃなくなるわけだ。
じゃない?
(まだやるソレ)
とにかく僕は、そうやって自分を知ることができる。今の状態を。今の自分を。
と思っている。いや思い込んでいる。自分を知れると。知れていると。
実際はどうなのかは分からないのだが、そう思えてることで、僕はある意味、安定化できるのかもしれない。
皆さんはどうやって自分を、自分の状態を把握してますか?
そんなこと考えてみてもいいかもしれませんね。
僕は今回この記事で、狂ったように繰り返し使用していた【じゃない】を自分で本当に面白いと思っているのか
どんな勝算があって多用したのか
そんなことを考えていこう思っている。
という変わってる自分が好きだ。
じゃない?
(知んねーし)
ですね。