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強さの偉大さ

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強さとは何か。永遠のテーマのようなこの内容を僕は幾度と考えていた。


男であれば、誰もが強くと思うはずだ。個々だけではなく、チームでの勝敗に関してもそう思ったり願ったりするはずだ。強くなりたいと。


果たして強さとは勝つことだけなのだろうか。勝つとは何なんだろうか。


昨今非常に言われている。耳にしている。女性が強くなったと。


でもそれはもっと前からなんだと思う。気づかなかっただけで、随分前からなんだと思う。きっと教育という身勝手なものに抑え込まれてただけなんじゃないのかとか。


女性らしく。それこそ男らしくもだけど。こうあるべきという勝手な理想像にすり寄せられてた教育で、それぞれの性別にあった『こうあるべき姿』を追わされていたのではないだろうか。いやなっていたんだよ。そう思う。


それが平成も終わろうとしている今、少し弱まったと言うべきか、正常になったと言えるのか分からないけど、自由というものが浸透していったのだと思う。自由を選択できるようになったのだと思う。


その自由によって、本来の姿が見えてきたと。隠さなくなってきたと。そういうことだと僕は思っている。


女性はトイレの際に必ず個室を使う。男性は必ずではない。急になんだみたいな邪念は捨てて読んで欲しい。


女性は幼少から、自宅以外でもトイレは個室を使用している。学校や公共の施設という場所で個室を使用しているんだ。そうプロなんだ。トイレの個室のプロなんだよ。


隣の個室の人のことを如何に気にしないかとか、音をどうするのかとか、臭いに対してどうするのかとか、幼き日々から経験してきたんだよ。そのミッションをクリアしてきたんだよ。そして自然とできるようになるんだよ。ずばり経験値がえげつねぇーんだよ。


そういった経験値が、男性にない経験値こそが、女性のここ一番の力というか、落ち着きとうか、腹が据わっているというか、肝が据わっていると言うべきか。そうなんだと僕は真面目に思っている。間違いないとさえ思っている。バカだろとかいう邪念は捨てて読んで欲しい。


つまり、女性はトイレで鍛えられていると言って過言ではない。女性の強さはトイレで磨かれるのだと言って過言ではないのだよだよだよだよだよだよ


だからと言って僕が発見しましたなどと何かの学会で発表するわけではない。わけがない。できるわけもない。そもそもするほどの材料もない。ただ漠然にそう思っちゃったよってなアレだ。アレなんだよ。アレが何かとか邪念は(略。


でも本当に女性のここ一番の強さってあると思いませんか?男性にはない潔さというか、見切りというか、決断力というか、行動力というか、適応力というか。


男性の強さは肉体的な攻撃だったり、肉体的なダメージへの防御力だったりで。女性は精神的なダメージへの防御力が。もちろん攻撃力もみたいな。口が達者なのは女性というのも・・・。


とにかく、家族で、家庭で、母親が、女性が、中心になっていくのは、なっているのは、精神面での支えとなっているからではとか。本気でそう思う。思っちゃう。


僕は家族というシステムがいまいち機能していないような環境で育ったし、尚且つ高校からすでに寮生活などで家を出ているので、家族とはとか、家庭のどうのこうのはピンとこないのだけども。逆にだからこそ、ここ一番で頼りになったのは母親だったなと。そう思うし、実際そうだったのだけども。


だからなのか最近僕は、母親という目線のブログを妙に求めているかのように読んでいる。気がする。自分の分からない世界だからかもしれない。子として羨ましさもあれば、親が何をどう考えていたのか、どう感じていたのかを知れる気がしてしまうからだ。当時と重ねながら。何なら取り戻せるのではとも思っているのかもしれない。


男はいつまでもマザコンだという説がある。世間で言う過剰なものは当然僕にはないのだけども、何なら暴言しか吐いていないのだけども、ゼロではないのかもしれない。そう今は思っている。


おっとこれは余談でしたと。


とにかく、女性の強さはトイレで磨かれると。トイレがジム代わりなんだと。そして年齢と比例してさらに強さが増していくと。僕はそう思っている。


実はその根拠となる出来事があったんだ。


今からそう・・・あれは・・・高校時代の・・・そうそう寮の玄関だったな

 

 

 

 


『いや~しっこしたいしっこ。ちょっとあんたトイレどこなの?』


股間を片手で押さえながらトイレの場所を聞かれました。大人の女性に。


その女性は友人の母親でした。


寮生活をしているということは、様々な場所から地域から来ているわけです。ですが、しっこ=おしっこはすぐ理解できた記憶があります。


僕の近くに居たその女性の子である友人の舌打ちが、僕のこれまでの人生の中で一番力強い舌打ちだと思っています。


当時は分かりませんでしたが、トイレを探す友人の母親はさらなる強さを求めていたのかもしれません。


ですが、今改めて考え直すと母親という女性の強さよりも、あの時の友人の心の強さを偉大だと思います。勝敗なら勝っていたと思います。


強い者が勝つ。勝った者が強い。友人の心は一体どっちなんでしょうか。


強さとは何なんでしょうか?


今日も僕はそれを探しています。

 

っていうバカな僕が最強ですかね?


偉大ではないけど。


ですね。