まもなく8月が終わる。世界のオザワ風に言えば夏が終わっちゃうよ徳井く~んなわけだ。知らんけど。
何度も言うが僕は仕事のアレもあって今片田舎に住んでいる。毎年だがこの時期になるとセミと戦っている。正確に言えばセミの死骸モドキというか死にぞこないと言うかセミぞこないだ。死にカスだ。セミカスだ。ゴミだ。となればセミだ。セミなんだ。セミなんだよ(もうええやろ
ひっくり返ってるので当然ご臨終だと思っていると突然ジジジジと狂ったように至る所に体当たりしながら FLY AWAYそう飛び立っていく。ちょっとした嫌がらせ奇行種野郎だヘイブラザー。
まっ野郎と言ってもオスだけではないのだろうけども(ソコ?
この奇行種セミは俗にセミ爆弾と言われているらしい。僕はセミボムと呼ぶことにしようとしたが髪型の呼び名と紛らわしいのでどうしたものかとトイレで考えた結果、真剣に真顔で考えた結果、セミにした。もう一度言うセミだ。結局だ。まんまだ。時間の無駄使いイエイ。
このセミ。見分け方があるというのは有名な話だ。ひっくり返ってる状態で脚が開いていると生きていて、閉じていると南~無~なわけだ。まさに合唱ポーズで南〜無〜なのだ。なのだって、いやなんかバカボンのパパ風に言ったみたいでハズイのだけども。とりあえずこれでいいのだ←
とは言えだ。いつもこの見分け方ができる状態とは言えないわけだ。出勤しようと玄関の扉オープンと同時に真下にセミがいた場合、もう意味不明な雄叫びを上げるしかないわけだ。
ちなみに僕はぬぉ!だ。猛烈な腹痛で凄まじい勢いでトイレの個室に入ってウンボム投下した直後にトイレットペーパーが1ミリも無いと気がついたときの全力のぬぉ!だ。全身からの雄叫びだ。その後ウォシュレットでずぶ濡れのままパンツを上げた時のチッだ。上げる前に無駄だと分かってるのに前後に腰をケツを振った時のチッだ。誰に対してなのかな舌打ちだ。どうでもいいけども実話だ。惨め過ぎて泣いた。石けんで手を洗いながら泣いた。ほっといてくれ。
とにかくそれくらい正にCRYな雄叫びを上げてしまうということだ。
これは確認の暇がないというかできないパターンだ。これは致し方ないわけだ。そもそもどこからセミが玄関前にと思うわけだ。踏みつけないだけでもありがたいと思えってんだクソセミがっ。僕の自尊心を返せ!ジジジジ。
それよりも問題はそもそも脚の状態を確認する距離まで行かなければならないということだ。どこの誰が日常で双眼鏡などのスコープを持ち歩いているんだって話だ。誰が視力5.0で獲物を狩りまくっているエスニックソルジャー(民族戦士)なんだってんだ。ジェロニモなんだってんだ。近づいたときにはもうジエンドなわけだ。ジジジの餌食なわけだ。じぇじぇじぇなわけだ。つまりゲゲゲなわけだ。取り返しがつかないと判断したのでこのまま進むことにするのだ。これでい(略
セミの話は良いとしてだ。僕的にはセミがというか、それこそ夏がどうのというよりも1ヵ月が終わるという認識が上だ。今夜が山田。意味はない。ほっといてくれ。
1ヵ月、この期間内にブログを何記事更新できるか。そう僕は勝手にノルマを課している。
このブログは2018年5月11日から始まっている。まぁ~自分で勝手に始めたわけだから始まっているとか他人事のように表現するのもどうかと思うわけで、始めたと、そう表現するのが当たり前なのだろうけども、何かカッチョイイ感じなんで許して欲しい。許してほしい~の。ほしい~の♪
先日、隣で飲んでいた見知らぬリーマンが連呼していたので思い出した。最終的に仲間からシカトされ「ほし~のあき」と説明まで入れだした時、僕は、いや僕だけが割とウケてしまいそれをバレないように我慢したところ嘘のように右の鼻の穴から色んなえげつねーモノがジェット噴射した。超炭酸だ。じぇじぇじぇだ。いやじぇじぇじぇではない。
そんな話はどうでも良くて
とにかく鼻からピーが出た話はいいとして、更新頻度の話だ。とりあえずこのブログの月別アーカイブを見てもらえれば早いだろう。
そう見ての通りだ。徐々に頻度は減っており、ここ最近は月5回がノルマと課せられている。実際は回数など考えてなどいなかったのだけども、やっているうちにそろそろ更新しないとなと、せめて先月と同じくらいはと、そう自分へのノルマと言うか意欲のためにも知らないうちにそうなってきたわけだ。
てなわけで今この記事を更新すべき書いている。正確には打ち込んでいる。打ち込んでいるのだけども。そもそもどうして更新が減ってきたのだと、そう思うのは必然なわけだ。
前はお金はなかったけど時間は十分あったのだけど、今はお金と地位がある分時間が無くなってさ。などという成功者的な成功者だからこその悩みとかそういうことではない。確かに忙しいとかあるのだけども、時間にしてブログを更新できないわけではない。
ないけども何故なんだとそう言われれば、更新したいと思わないというのが正直なところだ。バカ正直すぎて引かれたかもしれないが仕方がない。まぁ~引かれるほどの思いもないだろうし。ジジジジ。
飽きたとかではない。更新したいな~という思いもゼロではない。ネタがないとかいうわけでもない。このことを記事にしたいとか、あのことを記事にしようとか、そういう思いもネタもあるのだけども、そうしないというかする気がでないというか。
僕は恐らくだがブログに関して言えば、『怒り』が原動力になっているような気がする。いや面白い事をなどという思いも感情もあるのだけども、その根底には奥底には何らかの怒りがあるような気がする。やってやるよみたいな怒りがないと更新できないような気がする。するんですよ。
つまり、ブログを続けていくにつれこの怒りが減ってきているのではと。失われているのではと。そういうことなんじゃないのだろうか。と思うわけだ。
最近は更新よりも、色々な方のブログを読んでいる方が好きな時間と言えちゃうし、何ならさりげなくコメントしたりしている。それこそふざけた楽しい質問なんかもして回答してもらうという何とも言えない快感プレイ楽しい時間を過ごしている。いやほんとに←
だから何だと、何が言いたいんだと、こうスマホやPCの画面にうっすら映った自分の顔面のえげつなさに親を呪っていることだろうけども無駄だ。もう遅いんだよ。いや、ゴキブリの裏側の画像ばかり送ってくるのは止めて下さい!
とにかくだ。僕が言いたいのはだ。
これだけ更新頻度が落ちたということは、その怒りが失われつつあるためで、つまり僕と言う人間がいかに良い人になってきたかと、良い人なんだと、そういうことを言いたいわけだ。
そう僕は良い人なのだ。それを単に言いたかった。言いたかったというのがこの記事を書いた理由だ。理由なのだ。
これでいいのだ。
ごめんなさいだ。
ですね。