ですね。note

思った事を書くノート。そんなブログ。

自信という名の

f:id:odanoura:20200518111009j:plain


勝手な思い込みなのかもしれないけど、自信は他人からもらうモノだと思っている。僕はね。


自分自身ではゼロから生むことはできないモノだと思ってる。何故かはアレだけどそう強く思ってる。


確かに何度も繰り返し行った結果クリアできた。それで自信がついた。となれば自分自身で生み出したように思えるかもしれない。


でも、何故何度も繰り返せたのか、繰り返そうと思えたのか、繰り返せばできることを知れたのか。それって他人から教わったんじゃないの?とか屁理屈かもしれないけど、僕はそう思っている。


という考えだとして進めていく。嫌なら嫌だな~と思って読んで欲しい。結局読んで欲しい。ウケる(ウケるな


最初は親からもらうのだと思う。自信の種を。赤ちゃんの時は栄養分が豊富だから何もしなくてももらった種は芽を出し花を咲かせる。たくさんたくさん咲かせる。カワイイカワイイ言われる度に。


そうやって育って行くとある時、アレ?と他人との花の数の違いに気づく時がくる。思春期という研ぎ澄まされた時代に。それまでの生き方で花の数に変化が訪れていると。本当は種はあるけど芽を出していないだけかもしれないのに。気づいてないだけかもなのに。花の数を気にしてしまう。


そんで劣等感ってのが生まれちゃう。めんどくさいよね。


そのせいなのか、自分の花を知られたくないのか、他人との関りを避けてしまう人がいる。そんな考えになってしまうことがある。辛いもんね。少しでもストレスを避けたいよね。じゃないと、今ある花に栄養が行かないかもしれない。栄養自体がなくなるかもしれない。


でも、でも、逆効果だったりって思う。漠然と僕は考えてしまう。だって他人からしか自信の種をもらえないんだから。増えないじゃんってね。それこそ種があることを知れないじゃんて。


だから自分に自信がないって聞くと、あ~他人との関りが少なかったのかなって考えてしまう。思ってしまう。


自信があるとかないとか。自信は1つじゃないと思う。自信とカテゴライズされる中には無数の種があると思う。その量の多さだったり、大きさだったり、その総数というか総量で自信になると思う。極論を言えば1つでも大きいものなら自信となるのかもしれない。


きっとそれに気づけてないのかな~と思う。自分に自信がないという人達は。そりゃあ~他人との接点が少ないと教えてもらえないよねとも。


もちろん、全ての人が自信の種をくれるわけでもないし、種の位置を教えてくれるわけでもない。それこそ土壌をぐちゃぐちゃにしていく人だっている。でもそこで絶ったら、増えないし、知れないし、だと思う。


関わり方は直接じゃなくてもいいと思う。こうやってネットの中だって十分関わることができる時代だし。自分にあったツールでいいと思う。繋がろうと思えれば。思えるなら。


僕はこうしてクソみたいなブログをやっているけど、種をもらってる。種の位置を気づかせてもらっている。何ならタンポポの種みたいにどこからともなく僕の中に入り込んでいるものもある。あると思う。


だからその種を育てようと、花を咲かせようと、花が咲くと信じて、栄養を与えようと思っている。いや正直もうしてるけどね。それが何かは教える気はないけど。


種をいくらもらっても、いくら持ってても、残念だけどそれだけじゃ花は咲かない。咲かすための世話をしなきゃならない。咲かせようと、花が咲くと信じて。自信という花が咲くと信じて。


それが何なのかは僕には分からない。分からないから色々やってみる。それが、その何らかの努力が栄養になるのかもしれない。咲かせる肥料になるのかもしれない。


そう思う。


だからさ、人との接点を大事にというか、上手く使って欲しい。とか思っちゃう。


自分のために。花のために。自信のために。


僕で良ければ、手伝いますよ。


まっ、種は持ってないから雑草くらいはひっこ抜いてあげれると思うけどね。


見返りは咲いた花を見せてくれれば


あと、昼飯出してよね←


ですね。