必ずと言っていいほどたま~に小学生の時を思い出してしまう。何故か。
何故に小学生の時なのか。自分でも不思議なのだけど思い出してしまうのだからしょうがない。
僕は今、仕事の関係上、地元を遠く離れ関東の片田舎という場所に居る。片田舎と言っているが僕が勝手に言っているだけで、もし、ジモティに聞かれてしまったら確実に乳首を爪切りでギリギリまで切り刻まれてしまう。そんな場所だ(違います
ちなみに、僕の地元も中々のド田舎なので、決して見下しての発言ではない。ただ、褒めてもいない(言わんでええて
どやさどやさ
何だかガチャガチャしてしまったが、とにかく僕は小学生の時を思い出してしまう。しまうんです。
ただ、不意に懐かしんでしまうというのは、分からなくもない感情だと思う。
それはきっと、いや間違いなく、何かしらのいいイメージがあるというか残っているからではないだろうか。
いいイメージ
自分で言うのも何だが確かにそうだと思う。それなりに運動ができて、それなりに勉強ができて、それなりにモテて、それなりに注目されて、とか自分で言えちゃうくらい、いい思い出なんだと思う。
でもそれって、その思い出って、本当のことなんだろうか。勝手な思い込みなんじゃないだろうか。ふとそう思ってしまうこともある。怖いよね?
思い出は美化される。そんな言葉があるが恐らく本当だと思う。
難しい専門的なことは僕には分からないけど、自分の過去を、生きてきた時間を、否定したくないんじゃないのかな?そう思う。
昔は良かった
様々なシチュエーショ ンで聞いてきた言葉。比較的年上が年下に言う言葉というか、ずばり年配の方が常に言っているイメージがある。
やれ自分らが子供の頃は、やれ昔の大人達は、やれ昔の・・・と。
気持ちは分かるけど、実際その時代にも今と同じように犯罪はあったわけだし、それこそ未解決な事件もあった。間違った裁判もあったはずだし、ずさんな管理による不祥事もあった。今でこそ問題ないとされる病気が原因で命を落としていた人もいた。
そんな時代なのに、なのに決して、あの時の警察はダメだの、あの時の司法はクズだの、医療はクソだの、誰も言ってないわけではないだろうけど、それが表にほとんどと言って良いほど出てきていない。出てこない。何なら聞いたこともない。
それもこれも、自分の一番輝いていた時代を否定したくないからだと思う。過去を汚したくないのだと思う。恐らくそういう何かが、無意識に何かが発動しているのではないかと。そう思う。
それと同じ何かが僕の中でも発動しているのかもしれない。
今現在よりも確実に不便で、不条理で、不満しかない時代だったはずなのに。その不便さを不満をも、まるで自慢のように誇らしげに話すこともある。あ~だった。こ~だったと。
所謂、武勇伝のようなそんな感覚の話になってしまっているのかもしれない。
それはつまり
老いた
(あらやだ)
間違いなくそういうことだと思う。思うよ(何?
誰しもが時間と共に年齢を重ねていくのは当たり前。それに対して否定する気などはない。ただ、自分で自覚できないほどに、その時間は進んでいるのかもしれない。その自分の思う時間と実際の時間との差が、その差の認識の誤差の大きさが、老いということなのかもしれない。
正にオイオイだ。老い老いでもあり、老い追いかもしれない。ただ、絶対に甥(の)老いではない(でしょうね
置いた
いや、単に漢字を変えてみた。それこそ感じを変えたのかもしれない。ダジャレが多いのも老いなのかもしれない。正に追い老いかもしれない。追いがつお的な。この的なという表現も老いだと思う(言い過ぎです
人それぞれに過去があり、様々なドラマがある。だからこそ様々な老いもある。おイモもあるよ。イモイモ。
どやさどやさ
そう言えば、小学生の頃、近所に住んでいた中学生のお兄ちゃんに色んなことを教わっていた。今の僕の土台を作ったのは紛れもなくそのお兄ちゃんだった。火遊びをそれこそ爆竹を教えてくれたのもそのお兄ちゃんだった。
ある日そのお兄ちゃんの家が火事になった。そのお兄ちゃんの家は共働きで誰もいないので、不良のたまり場となっていた。タバコの火の不始末。それが原因だった。
ゴウゴウと燃え盛る前で立ちすくんでいたお兄ちゃんとその友達数名。あとで知ったのだけど、いや、何となく気づいていたのだけど、そのお兄ちゃんは所謂パシリだった。いいように使われていた。だからこそ、僕の前だけでも頼れる存在になりたかったのかもしれない。
泣きじゃくりながら、燃える自分の家にむかって爆竹を投げ込んで近所のおじさんに怒られていた。それが、僕が見た最後のお兄ちゃんの姿だった。悪ぶるならパシリは嫌だなと猛烈に思ったのを思い出した。
はっ!
決していい思い出とは言えないことを思い出した。思い出せた。思い出すんじゃなかった(心の叫び
トラウマまで言わないが中々の衝撃映像のはずなのに忘れていた。きっと僕の脳みそが気をきかせていたのだろう。そうやって良くない思い出は消えていくのかもしれない。
つまり、思い出とは、各々の脳みその気遣いなのかもしれない。グッジョブMY脳みそ。
ところで、爆竹で思い出したのだけど。無駄に火遊びを覚えた僕は、大きめの缶詰の缶の中にピンポン玉を入れ、そこに火を点けた爆竹を1個ずつ入れ爆破してピンポン玉を飛ばすという何の意味があるのか今でも理解不能な遊びをしていた。
当然というかあるあるなのか、缶の中に入れる前に爆破したことがある。そう手の中で、指に挟まれた状態で爆破したわけだ。小学生じゃなくても痛いに決まっている。僕はマジで指が吹っ飛んだんじゃないかと思ったくらいだった。
親にも言えない痛さ。どうしていいか分からず、そのお兄ちゃんに相談したことがある。するとお兄ちゃんは「鼻くそつけると治るぞ」と教えてくれた。僕は、人知れずこっそりと鼻くそを付け続けていた。嘘だと分かる2週間もの間。
マジぶっ殺す
初めての殺意を覚えたのもその時だった。今思い出しても腹が立つ。勝手に粘り気が多い方が良いとか思ってた自分にも腹が立つ。鼻くそのついた親指を僕はひたすら隠していた。隠してたっけな。
この先、何十年後かの僕は、何十年前にこんな事を考えていたと思い出すのだろうか。なんて未来だ。
いや、きっと美化できないから思い出さないだろう。思い出せないだろう。思い出したくもない。またMY脳みそが気を遣ってくれるはずだ。
とは言え、鼻くそつけたら治るとか悔しいが、いや悔しいからこそ他人にやりたくなる。
いいコト思い出せたな。
少し気にいってしまった。
ですね。