特に何かを、そんな具体的な考えなどなく生きてきた。
そりゃあ、全くないというわけじゃないよ。こうなったらいいな~とか、アレが欲しいな~とか、そんな目先の目的とも夢とも言えない、ちっさい希望みたいなものはあったよ。叶いやすそうなことをね。
出来レースみたいな希望を叶えて達成感を得ていた。のかな?満足していた。のかな?そんな風にしか考えてなかった。と思っていた。思い込んでいた。思い出すまではね…
そうそう小学3年のクリスマスだったよ。寒い冬だよ。とあるおもちゃ屋さんで1時間以上もの間、僕は人生で初めての葛藤というモノを体験していた。母親VS僕。親子で葛藤してるとか、みっともないの極みかもしれない。しかもその原因が金額という悲しい貧乏ストーリーなら尚更だと思う。
僕の家は決して裕福などと言える家庭ではなかった。父は手に職持ってます的な技術者という仕事のできる男だった。と思う。ただ、それ以上に僕の記憶の中にあるのは俗に言うプレイボーイってことだ。遊ぶ少年だ(ある意味ね
僕の知る限り年齢問わず5人はいたと思う。それがどこまでの関係なのかは分からないけど、とにかくモテていたと言っていいと思う。幼稚園児の僕でもそう思ったのだから中々だと思う。
とは言え、実際のところその当時の記憶からの後付け的記憶なんだろうけど。そう思ったのは確かだった。だからこそ母にチクったんだと思う。ちゃんと理解していなかったんだろうけど。伝えるしかないと思えたんだと思う。当然母が許すわけがなく、一緒に居れるわけもなく、父は僕達と離れる生活となっていた。
子供というのは分かるものだ。感じ取れるものだ。無意識ではなく、確実に意識的に経済的な負担にならない方を選ぶ。選んでしまう。うん、選んでたな。
どっちがいいの?こっちでいいの?好きなもの買っていいよ。これがいいのね?
妥当なモノを選んでいたと思う。そうするしかなかったというよりも、そうしようと思えたんだ。子供ながらにだよ。安い方を選択するというよりも高いものを選択しない。そんな暗黙の了解。でも、だけど、あの日だけは、あの日だけは……
何だかんだで僕の誕生日プレゼントがお流れになったんだ。悲しんでいた僕に母が言ったんだ。言いやがったんだ。
「お詫びにクリスマスは奮発して好きなモノ買ってあげるからね」
今となればできもしねーことを言いやがってという思いと、少しでも喜ばせようとしてたのかなという思いとがシーソーゲームしだすのだけど、その当時はそんな呑気な考えなどできるはずもなかった。欲しかったんだ。どうしても。心から。
僕は楽しみにしていた。買ってもらえるんだと。早くクリスマスになれと。あんなワクワクしていたのはきっとこの先もないような気がする。そのくらい人生のワクワクピークだったと思う。
母は嘘を言ったつもりはなかったと思う。だけど、僕が欲しがっていたモノが実際そんな金額だとは想像できていなかったんだと思う。現に何が欲しいかは伝えていたんだ。はっきりではないにしろ、こういうモノだよと。あんなのが欲しいんだよと。それで予想をたてていたけど実際は…ってとこなんだろうけどさ。
はっきり覚えてないけど、3~5万円だったと思う。子供のためにそれだけの金額を年末に放出するという余裕が、当時の僕の家にはなかったんだよ。母が悪いとか悪くないとかそんなことを言いたいわけではないけど。あの日の僕はただただ悔しかった。本当に悔しかったんだ。今でもはっきり思い出せるのだから、相当だったんだと思う。
「でもね、コレこれだけしちゃうんだよね。これだとこんな感じなんだよね。どうかな?」
「・・・・・・・・」
「どっちがいいの?本当に欲しい方でいいよ。言ってごらん。ね? 」
「
「こっちがいいの?そっか~でもねコレこれだけしちゃうんだよね。これだとこんな感じなんだよね。どうかな?」
「じゃあ
「いいの?こっちでいいの?本当にいいの?正直に言っていいんだよ」
「じゃあ
「でもね コレ(略」
「・・・・・・・・」
無限ループ
悔しかった。本当に悔しかった。小学3年生で強く強く握り拳をつくり続けて掌に爪がささったくらいだ。呆れている若い店員の顔が、物珍しそうに見下ろしてくるたくさんの大人達の目が、何度も何度も財布を開けたり閉めたりしていた母の態度が、大嫌いだった。今思い出しても胸の奥がギュッとなる。二度とこんな思いはしたくない。絶対好きなモノを買える大人になってやる。そして、こいつらを、こいつらを……
「じゃあ
ネット回線の向こうから聞こえてきた会社の女性社員の声で我に返った。どうやら熱く語り過ぎていたようだ。それを察して言葉をかけてきたのだろう。相変わらず気が利くというか鋭いというかさすがだと思った。
「今日の話での収穫はSさんという人間の起源が分かったことですかね」
いつもこの会社の女性社員は、質問をしてきては何かを僕から盗んでいく。きっとキャッツアイだと思う←
久々に長話をした。もちろん仕事の話はそうだけど、箸休め的にお互いの話を。ちょっとしたリアル教えてSさんだったかもしれない。他人にこんなに正直に話すとは我ながら驚きだった。最近スイッチ入りやすいんだよな。コロナ禍で対話が減ったせいかもしれない。いや、絶対それなんだと思う。
「じゃあ遅くまですみませんでした」女性社員の言葉で会話は終了した。
忘れていたというのは嘘になるけど、意識してなかった思い出だった。意識する必要がなくなっていたってことなのかもしれない。だとすれば、今本当にそうなのかもしれない。目標達成。僕はあの日の言葉に追いついていたんだ。
そう考えると、自分の言葉じゃなくても色んな人の言葉に追いついてきている気がする。今まで様々な人達からパイセン達から言われてきた、聞かされてきた、言葉達に。
例えば、
「これプリプリ」そう呼ばれる海老。
「舌の上で溶けた」「口の中でとろけた」という肉。ないしマグロ。
「まるで絵画のようだ」という絶景。
「何て自分の悩みがちいさなことなんだろう」という感情。
「何を食べるかじゃなくて、誰と食べるかだ」という感性。
そしてそんな相手の存在の認識。とか。
まだまだある色んな言葉に僕は追いついてきた。同じ感覚になる時に、感情になった時に、あ~コレが言ってたやつなのかって。
もちろんいいコトばかりじゃない。「こんな女には気をつけろよ」とか。「こうなったらもう終わりだからな」とか。皆さんだってあるでしょそういうの?
僕は無意識にも意識的にも、言われてきた聞いてきたそれぞれの言葉を追って生きているのかもしれない。そしてそれがある意味楽しみになってるのかもしれない。
な~んて思ったりしてさ。何もない人生だなんて思いがちだけど、何かあるもんだなってね。思ってみたり。鼻ほじったり。もっこりさせたり(お前アホだろ
そんな話はどうでも良くて
こんな時代だからなのか、自分は何が楽しくて生きているんだなんて言葉を、わりと聞くんだけどさ。どれだけ気づけるかだよねきっと。色んなことにね。楽しめることにね。
その楽しめることの中に、どれだけ言葉に追いつけてるかっていう気づきもあっても良いと思うんだけど。ダメかな?
僕はまだまだ止めないよ。止めたくないね。もっともっと追いついてやる。追い続けてやる。だって共有したいじゃない。体感したいじゃない。それぞれの言葉の意味を。言葉の真実を。そう思わない?
だから逆にもっともっと訊かないとね。どんどん対話しないとね。色んな人からさ。その手段がリアルであろうがネットであろうが。声であろうが、文字であろうが。止めないよ。それこそ休ませてなんかあげねーよ。
終わらないよ、終わらせてなんかやらないよカーテンコール。何度でも出てきてもらうからね。聞かせてもらうからね。皆さんがやり遂げてきたという人生の舞台から何度でも呼ぶからね。僕がもっともっと輝くまでね←
そして今度は僕から次へとかさ。そんでカーテンコールされたりとかさ。ね?素敵じゃね?無敵じゃね?
うん、
そんな舞台に立てたらね…ぐはっ
まっそれでも僕はこれからも追い続けるけどね。
皆さんも追いかけてみない?いや、もう追いついてるんじゃない?それに気づいてみない?
あっそっか…
覚えてたらね←
(せつねぇ~)
ですね。