好きだとか愛してるだとか。誰がどう考えてこんな表現にしたんだろう。こんな言葉はできたんだろう。知ったところでだけど。
相手を想う気持ちを、心を、表現したかったのだろうけど。でも、何故表現しようと考えたのだろう。伝えようと思えたんだろう。それこそ伝わると思ったんだろう。
たまに来る子供みたいな難癖付けたいみたいな感情って何なんだろう。自分のことなのに謎なんです。僕は僕のことを知っているようで何も知らないのかもしれない。
言葉がないときにどうやって想いを伝えてたんだろう。
言葉という便利なものがなかったころって、どうやって意思疎通していたんだろう。何かしらで通じあえてたんだよねきっと。不思議というか神秘というか。実は今できないような特別な能力があったのかもとか。そんな漫画あったら読んでみたいな。あるのか知らんけど。
言葉があるのに。もしかしたらあるからなのかな?
通じ合えないというのは何なんだろうね。仕方がないと言えばそうなんだろうけど。悲しいでもないし、悔しいとも違うし、嫌な感覚というか何と言ったらいいのか。便利と思っていた言葉ですら表せれないのかよみたいな。まっ僕がというだけなのかもだけど。
特に何かあったわけじゃないけど、漠然とそういう考えが浮かんできた。その考えのモデル的出来事はあるのだろうけど。あったのだろうけど。自分自身でもコレだという記憶が蘇らない。
もしかしたら僕の中の安全装置が働いて思い出せないようにしているのかもしれない。とか思ったらどんだけ嫌な事なんだとか思っちゃうよね。僕自身ですらそう思うし。
好きって感情を永遠に保つにはどうしたら?
恋愛対象にしなければ可能なはず。いや、付き合うという恋人の関係にならなければ可能と表現した方が近いかな。付き合っていないのだから別れが来ない。別れなければ永遠に続く。そう僕は考えているし、信じている。
別れるというリスクを背負ってでも、一緒に居たい。その想いが強いから付き合おうとする。それはもう一種の愛だよね。でもそうなったら、愛になってしまえば、例え別れても好きって感情を保っていられるのかもしれない。のかな?本気で嫌いにはなれないだろうから。なのかな?
でもそれは、付き合えたという所謂成功の後の話で、フラれるという付き合えない別れ以前の状態の場合はどうなんだろう。でもアレか、勝手に保つことは可能ではあるか。現に付きまといとか呼ばれる存在もいるわけだし。
そうなると付き合おうが、付き合わなかろうが関係ないことになるな。何か違うな。僕はきっと、好きって感情を保つというよりも、好きっていう関係性を保つことができるかってことを意識しているのかもしれない。望んでいるのかもしれない。このまま続けばいいと。
別れがというより関係性が壊れることへの予防処置なのかな。付き合うことへの恐れというか、臆病というか、そういうのとは違う気がするんだよな。
付き合う相手とは区別している
そんな感じなんだよな。この感情は僕だけなのかな?そういう相手がいるっていうのは僕だけなのかな?僕が勝手にそういう相手と決めつけてしまっているだけなのかな?僕の
必要だから言葉ってできたんだよね。伝えることが、知れることが、大事だということだよね。
その大事な言葉が、言葉で、苦しめることができる。命すら奪うほどに。となると本当に大事なのかな?必要なのかな?とか。
でもその言葉で、救われたという人がいる。笑顔になった人がいる。となると、やっぱり・・・。
結局、使う者の問題てことなんですかね。刃物にしかり、言葉にしかり、使い方かと。便利なモノほどそうなのかもしれない。となると、マニュアル必要ですか?
仮に必要だよってなったとして、それを誰が作るのかな?誰が何が、基準となるのかな?とか。
こんな感じのことが、終わりの来ないような考えが、僕の中で突然巻き起こったりする。中学2年からずーと。無駄な思考の被害者なんだよ僕は。僕の犠牲者なんだよ僕は。
僕が僕を?じゃあ僕ってなんなの?
深夜2時の脳は余計なことしか考えないな。この時間にブログ書くのは良くないのかもしれない。でも、
変な脳~
※ダジャレで笑うところです
僕が一番好きで、頼りにしているのは僕なのだけど、その僕に一番悩まされている。僕は加害者でもあり、被害者でもあるのか。
いつか僕は、僕に押しつぶされてしまう?
のかもしれない。
違うのかもしれない。
結局、
何もかも知れない。
ですね。