ですね。note

思った事を書くノート。そんなブログ。

僕は知らなくてもいい


相変わらず昼夜とわず酒を呑んで、いやのまれているのだけど。わりとちゃんと考えることもあるんだ。


ふと、そうふと思い立った。


とは言え、前々からそう思っていたことなんだけど。あえて言うまでもないとか思っていた。それこそ炎上までならないにしても賛否ありそうだし。めんどくさいことなるのかなとか、そんな予防的意味で書かなかった。


なのに今回録った録っちゃった。さら~と。真夜中に。酒吞みながら。だから、この記事を書いている。


補足が必要なのかとかそういう面だけじゃなく、今回は皆さんの意見を頂きたいなと。頂いちゃいたいなと。そう思ったからなんだ。

 

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時は過ぎていく


正の歴のカウントと負の歴のカウントの話をしています。聴いて下さるとアレだけど、聴かないでいいようにこのあと書きますんで。ね?

 

今日はですね?


じゃあ聴いたとして、聴いてないとして、文字でも行きますか。読んでみる?

 

このブログは去年の5月で3周年となりました。今4年目ってやつです。よく続いたな~色々あったな~なんて思いますが、今はそんな感傷に浸っている場合じゃなくて。


皆さんもそうだと思うのですが、物事や出来事の経過を記念としてカウントするわけですよ。上記で述べたブログもそうですし、それこそ誕生日なんて正にですよね。お祝いですよ。交際記念とか、結婚記念とか、その経過日数や年数を噛み締めるわけですよ。


このカウントを僕は勝手に正の歴のカウントと呼んでいるわけです。正、つまり+です。であれば、そうですマイナスとなる負の歴のカウントも存在するんです。てか、勝手に僕が呼んでいるだけなんですけど。でも呼び方がどうであれ、皆さんもしているんですよ。


元カレ・カノと別れてから〇年、彼氏・彼女いない歴〇年とか。


「たばこやめてどのくらい経つんですか?」言われます。でも僕覚えてないんです。覚える気もないんです。だって必要ないからその期間の長さなんて。何十年だろうが、何秒だろうが、やめたことには変わりなくて、今現在がそうであればいいでしょって考えなんです。


逆に、何年何カ月やめてるとか覚えてるってさ、意識し過ぎじゃないの?とか思うんですよ。それじゃ止めれないよって。それこそ、元カレ・カノと別れて何年とか、引きづってんじゃんて。意識し過ぎじゃんて。そう思うんです。


いや、引きづったっていいですよ。別れの悲しみに浸ってたっていいですよ。それを否定する気はないけど、経過日数じゃないじゃんて。そう思うんですけど。短いと長いで、違うのかな?時間が解決してくれるとは言うけど、実際そうだとも思うけど、経過日数知って変化します?どのくらい経っただろうとか意識しなくなるからふん切れるんじゃないの?とか思っちゃうんです。


ラジオでも話してますけど、僕の中では『震災』というワードから連想するのは東日本大震災です。この出来事は忘れたくても忘れることなんてできないです。色んな人達との出来事が今も尚、僕の心の中に、頭の中に、消えずにいます。


あれから何年とか、忘れちゃいけないとか、経過日数で、年数ごときで、僕の中のその記憶は変わらないですよ。その出来事に対し受け止め方は変わるかもしれないけど、起きたことは変わらないですよ。変わるわけがないんですよ。


だからこそ、わざわざ何年とか要らないんじゃないのと。必要ないんじゃないのって、そう思うんです。月日が、年数が、どうであろうと、変わらないし、忘れないし、そう思うんですよね。逆にカウントすることで、心の整理というか、受け止めようとする心を焦らせるというか、冷静にさせないような気がするんですよね。邪魔しているような気がするんですよね。大袈裟かもですけど。


だから極論を言えば、亡くなった方の何回忌とかも。集まるきっかけとしては良いのかもですけどね。大義名分となるわけだし。でも、何回だからとか、その数で、行くとか行かないとかあるのもどうかと思うし。忘れないはずだし。何年だしもういいだろうとか、そういう方が逆にどうかと思ったりするんですけどね。キレイごとかもですけどね。


僕はこの負の歴のカウントはいらないんじゃないかと思うんです。僕自身必要ないと思ってます。


そこで、皆さんに教えて頂きたいんです。この考えの異論を唱えて欲しいんです。もちろん、共感して頂いても結構です。どう思うのか、どう考えているのか、教えて欲しいんです。


これ書きながら思ったんですけどね、出来事に関しては言えるけど、物に対してはどうなんだろうという考えが突如とでてきました笑


築何年とか何年車とか、言いますよね?それこそ何年物とかお酒でも。良くも悪くもカウントでモノの価値が決まりますよね。身近なとこで言えば消費期限とか、賞味期限とかも。でも、これらと僕の思う正の歴と負の歴のカウントの概念が違う気がするんですよ。誠に勝手ですけど笑


そう思うと人の年齢はある時から負の歴のカウントになるのかもしれませんね。それこそカウントダウンみたいな。


こんなこと考えているうちが、考えていれる時間があることが幸せなのかもしれませんね(どした


えっと、切なくなってる場合じゃないですね。まとめますね。


正の歴のカウントと負の歴のカウントがあるわけで、この負の歴のカウントはいらないのではというのが僕の考えです。もしかしたら、何を負の歴のカウントとするかが、重要なのかもしれませんけどね。


皆さんはどう思いますか?


教えて下さると幸いです。


この回答をいつまで待つとかいうのも負の歴のカウントだと思うんですよね。


でも、世の中では納期と言って重要だけどね。


結局、酔った人間の言葉は読み流す(聞き流す)が一番かもね


ですね。