僕はスマホを眺めていた。
スピーカーから声じゃない音が響いていた。
どのくらい経ったのだろう。無言のまま時間だけが過ぎていた。
「もう何が何だかで…」
その言葉を最後に声が消えた。
残ったのは、電話の先で泣いている母親の嗚咽だった…
深夜1時、僕はただただスマホを眺めていた。
何かがあってのことなのは分かる。けど、息子の前で泣くなんてよっぽどなんだと思う。
全てを理解したわけじゃないけど、何か案があるわけじゃないけど、僕は自然と言葉をかけていた。
「大丈夫だって。な?」
まさか僕が…僕から母親に言う時がくるなんて…
中学を卒業し僕は寮に入った。遠く離れた地へ進学したのだから必然だ。今思えば、1人暮らしじゃないだけ救いだったかもしれない。家にいるより騒がしい空間のおかげで、僕は寂しがる時間を奪われていたからだ。
大型の休みの時だけ帰省。入学して最初の帰省はゴールデンウイーク。1カ月ちょっとぶりなのに、何だか不思議な感覚だったのを覚えている。そもそも、親との関係性が微妙だったからでもあるけど、他人という意識が強く思えた。
ぎこちない会話。お互いがお互いを意識していた。無駄に豪勢な食卓。僕の好きな食べ物だけが並んでいた。ただ、今でも思うのだけど、鳥の唐揚げも、マグロの刺身も分かる。百歩譲って麻婆豆腐も分かる。でも、それら全てがあるのにカレーライスは異常だから。食べ始めてからの「お好み焼き焼こうか」は
休み最後の日、何かのテレビを観ている時だった。
「学校どうなの?」
始めて学校のことを訊かれた。特に僕から言わないから余計なのかもしれないが、知りたいんだと驚いた記憶がある。
寮の事を中心に話をした。上下関係の厳しさ、難しさ、部活の厳しさ、勉強の難しさ、変わった教授達への評価、授業の内容、ほほほぼ愚痴だったと思う。それをうんうん頷きながら聞いている親から、突然言われた。言われたんだ。
「大丈夫だよ。そうでしょ?」
「当たりめぇーだろ」そう返した僕の中で、根拠のない力が、自信が、
何かある度言われる親からの「大丈夫だよ」に幾度と救われたか分からない。何も知らないくせに、分かってないくせに、何なんだこの安心感は。きっと僕はまだ親離れしていないんだなと、わりとマジメに考えたことを思い出せる。
それから月日が経ち、その「大丈夫」は、不思議な力は、他の人からもらうことになる。先輩だったり、教授だったり、友人だったり、恋人だったり、それこそ上司だったり。色んな人から言われるけど、その中の特定の相手からのその
この時僕は、親離れしたんだと感じた。
今度は僕が、誰かのそういう存在に成れたらなと思うようになった。わりとマジで思ったりしていた。
いたけど、まさか親に言う事になるなんて。言われた親がどう思ったのかは分からないけど。時より、あの日とは違う「うんうん」という頷く声が聞こえていた。落ち着いたのか電話の先から音は聞こえなくなっていた。
あの日もらった
恩返しなんて大袈裟じゃないけど、少なからずもらったモノを返還できたような気がした。することが正しいのかも怪しいんだけど。
よく親離れできない奴だな~なんて言葉を聞くけど、きっとたくさんの愛を、恩を、もらったからだと思う。それを返すのに、渡すのに、時間がかかってしまうからだと思う。きっとそうなんだと思う。
きっとさ、親に返さなくても周りに渡してもいいんだよね?友人に、恋人に、渡したっていいと思う。そうすれば、早く親離れできるんじゃないのかなとか思う。親離れすることが良いのかどうかもアレなんだけど。
自立と親離れって似てるけど違うんだと思う。あくまでも僕は。一応言っとこうと思って←
電話の先から壮大に鼻をかむ音が聞こえた。おっさんかよ笑
泣き止んだ親は「色々アレなんだけど…」と急に歯切れが悪くなった。何かを勿体ぶり始めた。そうだよな、イイよ今さらお礼とか。そういうのを欲しくてしてるわけじゃねーから。そんな思いからか僕は電話を切ろうと進めた。
「もういいだろ?切るぞ」
「いや、ちょっと待って、あのさ…
あの10万円※まだかな?」
(一生泣いてろ‼)
確かに忘れてたというか、そもそもやるきねーし。これって泣いテロじゃん。何だよ根に持ってたのかよ。正に怨返しみたいな。ぐはっ
いい加減子離れしてもらいたいもんです。
10万は未だに送ってません笑
送る気もないです←
ですね。