あとは帰るだけ。そう帰るだけなんだ。
不思議とその瞬間の記憶はある。帰るという言葉に勝手に反応して、まるでシャッターを切るかのように僕の脳内のアルバムの中に鮮明に映像が残っている。
何度も何度もその映像を出してはしまうを繰り返しても、結局その後の記憶がないんだ。覚えておきたくないからなの?残念ながら僕の中で響くその問いに答えてくれる僕はいないみたい。
頭の中で、心の中で、そんなぼんやりとしか表現できない僕の声の居場所なんてどうでもいい。ただこの声に答て欲しいんだ。応えて欲しいんだよ。それが僕からの僕へのお願いなんだ。
「それを理解できる奴がどれだけいるかって話なんだよ」
お酒が入るとアツく仕事のことを語る
「急だけど今日…はやくお店しめちゃおうと思ってんですよ」
許してくれと言わんばかりに、そのお店の大将は頼んでいないレモンサワーを置きながらウィンクしそうなくらい片方の目をほそめた笑顔をつくっていた。
「いやすみません…何か…」
逆にと言うまえにコイツはそのお詫びを呑みだしていた。結局このお詫びのせいで、このあと3杯連続でレモンサワーになった。久々に呑んだというのも原因かもしれないけど、ちゃんと注文して呑むというお返しのような事をしなきゃと思ってしまったんだと思う。変だよね。
「またな」
駅まで見送り。もう1軒行こうかとも思ったけどやめといた。さてこれからどうしようか。そう思っている時間はすぐ終わることになった。
「どこに居ます?」
電話先から聞こえる呑みましょうを含んだこの問いに馬鹿正直に○○駅前とか話している僕はやっぱり酔っていたんだと思う。お酒を呑んで酔っていないという奴が一番酔っている。のは本当なんだろうけど、言わない奴も変わらず酔っている。
「結構変わったと思いません?」
リニューアルオープンしたわけではないらしいけど、確かにお店の雰囲気が変わったような気がする。お店自体というか居る人達というか、働いている女性達が一番なんだろうけど。
「お久しぶりですね。2年ぶりくらいかしら?」
それがプロなんだろうけど、覚えてもらえているというちょっとの特別感が財布を緩めるのだと思う。
「今日も楽しんでいって下さいね」
微笑みながらお店のママさんは姿を消した。そう僕らは俗に言うキャバクラに居た。ちなみに僕らのらの奴は何をしているかは分からない年齢不詳の呑み友だった。きっと株とかそんなんでお金があるんだろうなと勝手に思っている。そしておそらく年上だとも。
「え?待ってハーフ?横顔のシルエットが凄くキレイだから」
それがお世辞だったとしても褒められて嫌な人はいない。そしてこれも財布を緩める効果なんだと思う。そんなある意味窃盗団の店で僕の隣から声をかけてきた女性こそ完全なハーフ美女だった。
今思えば「君こそシルエットが…」なんて言えば良かったわけで、何なら実は言われたかったのではないかと反省してしまう。結局のところ酔うとポンコツなんだなと、そしてその状態こそが財布を緩める最大の原因なんだなと思う。
その後の僕らは、僕は、「優しい」という見え透いた嘘にまんまと騙され代わる代わるくる女性達に飲み物を振舞い、「声がいい。本当に激ウマ」という
「じゃあ帰ります」
クレジットガードを持って戻ってきた女性を笑顔で迎えながらサインをする。
あとは帰るだけ。帰るだけなんだ。
また電気点けっぱなし。あんなに呑んだのに帰ってからも呑んだみたい。お店を出てからの記憶が思い出せない。一緒にいた呑み友がタクシーで帰ったことは覚えているのに、自分のことは何も覚えていない。
とりあえずスマホもあるし財布もある。戸締りもしているし、知らない人も家の中にはいないみたい。トイレもちゃんと流しているし、床にもんじゃ焼きのようなゲロもない。なので良しとしちゃう。どうせ考えても思い出せないんだからこれでいい。雨だったからか少し肌寒く感じる。ベッドに向かい寝直す。
また僕のLINE友が増えていた。ご馳走様というのはお店のことなんだよな。まさか店を出たあとにとかはないよな。時間的にはどうだったかな。確か3時だから帰ろうとなったような。であればお店の子か。つかお店の中で?え?
帰る前も覚えてねーのな
ぐはっ
とにかく僕はまだ返信していない。この出来事から変心はしているけど。
こうして僕は生きている。生きていけている。きっと全てを覚えていたら生きていけないのかもしれない。
人は忘れることができる生き物。だからこそ忘れたくない大切にしなきゃいけない思い出がある。その一方で、消してしまいたいほど忘れたい出来事もあるのも確かだ。でも、それをコントロールすることは難しい。覚えていたいことを忘れ、嫌な出来事をいつまでも覚えていたりする。
そんな不器用で曖昧な記憶を持っているのが人間なんだと思う。それこそが人間なんだと思う。
そう…
実に人間らしい僕だと思う
そう思うしかない←
でも、こういうことが僕が生きていたという証拠になっている。そんな証拠を忘れないために残すというのが日記であり、このブログなんだと思う。
実に素晴らしいブログですね
と言って欲しい←
ですね。