ストレスという現代のラスボス。非力のクセに積み重なりやがるから気づいたらもう手遅れみたいな必殺技にみんながお手上げ状態。
だからなのか僕は涙を流すことにしている。
いるのだけど…
涙活として映画を観ることにしている。泣けると言われている映画を中心に片っ端から観たりしている。ここ最近も。何ならYouTubeの動画なんかも探したり。
でもさ、でもね、
その涙の素に人の死が含まれてるんだよね。もちろん映画や動画での話だけど。
それってどうなんだろうなんて考えちゃってさ。やっぱ他人の不幸の上に僕の幸せがあるのかってさ。
映画や動画を否定したいわけじゃない。作品として笑ったり泣いたりするのは当たり前だし、実話をもとにして作られた作品なんかも、その本人や家族が感謝するようなものだってあるわけだし。
つまりちゃんと作品として鑑賞したならいいのだけど、僕は涙活として、泣こうとして、そういう見方ってのがどうなんだろうとか思っちゃってさ。
まっこんなこと考えてしまうことこそがストレスを消化できていない証拠なんだろうけど。
そしたらさ、いつもの会社の女性社員からLINEが来てさ。ちょっとした仕事の話で、めんどいから通話になって、色々話したらさ、話しただけなのにさ、何かすーと軽くなってさ。涙を流した後というのもあるんだろうけど、他人と会話しただけで元気になれるんだもんな。ヒトって不思議よね。
そしたらそしたらさ、今度は違う仲の良いOLからメールが来てさ。今度は文字で泣かされるしさ。もう映画いらねーじゃんて思ったよ僕の涙活笑
結局これまた元気というか嬉しさまでもらっちゃってさ。涙を流そうみたいな下心が良くないのかもとか、まさかの涙活否定までしちゃったり笑
何か居るよね。ここぞって時に連絡してくる人、してくれる人。声をかけてくれる人、気にかけてくれる人。そういう人って何かの能力者なんじゃとか思っちゃうよね。
その人の言葉で何か心がリセットされるみたいな、リフレッシュされるみたいな。なんなら大袈裟だけど勇気をもらえるみたいな。命を分けてもらえてるみたいな。
そういう人が居てくれるというのは当たり前じゃないんだな。改めて感謝します。感謝しています。
ありがとうございます。
人生って不思議よね。何があるか分からないとよく聞くけど、分からない事ばかりだよな。
だから知るために、知っていくために、生きて行くんだろうね。生きて行こうとするんだろうね。
こんなこと考えてしまうのは、死が含まれた映画を観たからだろうな。となれば、凄く必要な映画なんだろうな。必要なことなんだろうな。涙活になんて限定した見方は良くないんだろうな。
1日1歩、3日で3歩、3歩進んで2歩下がる。
「結局3日で1歩しか進んでねーじゃん」
クソ生意気な中学時代の僕はこの歌を教えてくれた国語の教師をバカにしてたっけな。
「俺なら3日で100歩進んでやるよ!」とか言ってたもんな。叫んでたもんな。ガキだよな笑
実際3日どころか1日で100歩、それこそ356歩も進むようなこともある。あるんだけど、その次の日に同じようには進まない。何なら1歩或いは100歩も戻ることもある。終わってみたら、1年で365日で365歩しか進んでいないようなこともある。結局1日1歩しか進んでないようなことがある。何なら1歩も進めてないことだって。
人生っていつ何があるか分からない。だからこの1歩を、進んだ1歩を、どれだけ維持していけるか、継続していけるかなんだと思う。
でも、考え方によっては日々変化しているってことにはなるよね。進もうが戻ろうが、止まっていようがさ。その変化に順応できるかどうかが生きる難しさなのかもね。
みんな日々変わっている。変わっていく。意識してもしなくても。
こういうことを平気で記事にして更新できるようになった僕も変わったってことだな。
この変化に順応してこそだろうね。
皆さんも想いかえしてみたらいかがですか?少なくとも自粛と言われていたあの日よりは変化してますよね。
あとは順応しているか。できるのか。
どうですか?
とにかくそんなことを思った夏でした。
僕が変わった夏でした。
ですね。