この世に無駄なものはない。
そんな言葉を聞くし、そうだと思っている。でも、その無駄と思えることがあるのは確かなんだけど。
その無駄がどう必要なのか、何故必要なのか、それを知らないだけなんだと思う。
意味のないことが意味を成すように、無駄だと思うことが何かの必要不可欠になっている。のだろうね。
分かっているように偉そうに書いているけど、僕もよく分からない。分からないから、分からないことだから、そうなんだと思う。いや、信じているが近い感覚かもしれない。神頼みみたいなもんかもね笑
とはいえ、僕がすべてを知っていないと知っているから、信じようと、そうなんだと、思えるんだと思う。

僕たち人間が一番知能が高いと言われている。実際は総合的にということらしい。つまり、個別の能力では人間よりも高い能力をもっている動物がいるというわけだ。チンパンジーなんかが有名だけど、実際何が
そんな知能が高い僕ら人間が一番無駄なことをしていると言われている。生きるという上で本能以外のことをしているから。食べる、飲む、生きるために必要不可欠。そこに何故か無駄と言える美味しさを求めている。なんなら欲している。
少しでも美味しいものを、店を、検索して予約して食べるために労力を惜しまない。水飲んで米食えば死なないのに。
ということは、僕らは死なないために生きているわけではないということなのだろうか。もちろん死んでいいというわけではなく、生きるとは、僕らの生きるとは、死の対義語ではないということなのだろうか。

幸せだろうが不幸せだろうが、生きていればいいということじゃない僕らがいる。死ななきゃいいではない僕らがいる。それを贅沢と思うのかはわからないけど、確実に僕ら人間は死を意識しているようでしていないような行動をしている。
「死ぬまでにやりたいこと」
「最後の日に何を食べたい?」
生きるだけをしていない僕ら人間は、だから生きづらいのじゃないかとさえ思えてくる。知能があるせいで、無駄に知能が高いせいで、死なないという純粋な行動をせず、
生きるってなんなんだろう。
笑ったり、悲しんだり、怒ったり、悩んだり、生きるで大忙しだよな。
その忙しさで疲れちゃう人が出ちゃうのかもね。増えているのかもね。
だからって生きるをやめる必要はないわけで、寧ろ生きるを最大限にするべきなのかもな。
美味しいものを、きれいなものを、面白いものを、好きなものを、求めていいんじゃないのかな。求めるべきなんじゃないのかな。
そういう無断なことが、死なないためにとっては無駄みたいなことが、生きるの醍醐味で、本当の意味で生きていくことなのかもな。それが不足しているのかもな。
じゃあこの「ですね。note」や「低画質処理」を閲覧することは、記事を読むことは、生きていくことなのかもな。むしろ必要なのかもな。
なら、もうちょい生きてみようって思えるよな?
でもきっとこれ読んでるってことは、そう簡単に死なないだろうけどな←
ですね。