理由はわからないけど、とある子供が親という大人から叱られてたわけで。
これでもかと、怒られてたわけで。大声で怒鳴られてたわけで。
そのうち子供は、泣き出すわけで。それでも親は止めないわけで。
今時珍しいとはいえ、当り前っちゃ当り前で、どこにでもある風景なんだけど。
なんだろうけど。
ふと思うことがあるわけでして…。
会社にもいるんですよ。
その~叱れちゃってる人が。怒られちゃってる人が。
それも毎回のようにね。
そりゃま~その人は泣きませんけどね。
いや、泣きそうな時もあるような気もとか。
でも、なんで叱れちゃってるのかとか、なんで毎回そうなっちゃうのとか
僕も思うんですが、分かる気もしたりで。
決していじめとかのアレではなくて、言われても仕方ないんじゃないのかと思うわけでして。
そりゃまぁ、この仕事がむいてないとか、合ってないとかそういうのもあるんでしょうけど。
あるんでしょうけども。あると思うのだけども。
この人の場合は、恐らくそういう次元の話ではなくて。
当の本人の態度というか、考え方というか、何というかでして。
というのも、凄いのが、怒られた当の本人は、さほど、それほど。
しかも、何だか自分は被害者だ的な感じでして。
今流行りのパワハラだ主張みたいな。
ただ、誰が見てもそう思わないし、思ってもらえないし、という残念な状況でして。
その開き直りとも思える態度がこれまた、余計怒りをかうという最悪な展開でして。
自業自得という感じかもとか。
僕からすると、その人は慣れちゃってる感じで。
怒られ慣れちゃってる感じで。
勝手なアレだけど、たぶん幼少の頃から怒られ過ぎちゃって、自分で処理する方法を身につけちゃったみたいな。
その人の自己防衛本能が生み出した、オリジナル策ができちゃったみたいな。
そんな感じなんだと思う。勝手だけどね。
その手段は“聞かない”
聞いているようで聞かない。聞く気がない。
いや、“聞こえない”の方が正解かも。
まったく身にしみてないというか、悪いと思ってないというか。
とにかく最優先は『今をしのぐ』みたいな。
だから、言い訳は多いし、嘘はつくし、隠すしでして。
極めつけは『謝らない』っていう。
悪いと思ってないから謝る言葉が出ないわけで。
何とかしようと思ってる方向が違う感じで。
注意されている内容の改善よりも、いかに“今怒られないか”が最優先なわけで。
済んでしまえばもう記憶にありませんってな感じ。
だから何度も同じことで怒られてるわけで。
同情されないわけで。
本人には申し訳ないのだけども、俗に言う“できない人”の典型的パターンてな気が。
きっと、幼少の頃から“できない子”的扱いだったんじゃないのかなとか。
本当申し訳ないんですけど、そう思っちゃうんですよね。勝手にね。
決してそれは本人が望んでそうなったわけではないんでしょうけど。
そうなってしまったのには、きっと理由があるんでしょうけど。
そこまで知れない僕は、そう思ってしまうわけで。
もうこの会社の“できない人”は無理かもしれないけど
これから未来のある子供達は間に合うと思うんだよね。
いや、自覚できればきっと…。
そうきっと、子供と言わず、誰でも間に合うのかもしれないんだよね。
でも、大人になればなる程、誰もソレを教えてはくれない。
誰もソレを直せなんて…寧ろ“治せ”なんて言ってくれない。
その間違った方法を
その侵された精神を
きっとさ、辛くて辛くてたまらなくてそうなっちゃったんだよね。
少しでも楽になりたくてそうしちゃったんだよね。
拷問だったのかもしれないよね。
逃げたかったんだよね。
子供がいない僕には、分からないことだし、偉そうなこと言えるアレじゃないかもだけど。
愛情のない怒りは通じないだけじゃなく、間違った考えを与えちゃうのかな~と。
どんなに無意味と思えることでも、その怒りの理由を説明しなきゃいけないのかな~と。
子供は子供だけど、人間なんだなと。
同じ人間として向き合わなければならないんだなと。
そんなこと思ったんですよ。思ってしまったんですよ。
勝手にですけどね。
なんかあ~だこ~だ色々考えてたら脳みそが痛いです。
子供が叱られてた事から飛躍し過ぎじゃね?
てか、怒られてんじゃねーよクソガキ!
とんだ思考疲れだよコンチクショウ!
きっとこれが典型的な責任転換のパターン。
僕のオリジナル策ってわけね。
う~ん・・・。
僕も間に合わないかも…
ですね。