ですね。note

思った事を書くノート。そんなブログ。

ビチクソみてーな人生に彩りを

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「ブログを書く目的ってなんですか?」

 

会話。それは瞬発力を求められる。そんな要求に瞬時に的確な答えを出せる人がいる。人達がいる。


えげつねーほど頭の回転が速いのか、それとも常日頃から思考という脳内会話をしまくってるのか、或いは両方か、とにかくヤベー奴らだと思う。


先日、素敵なイケメンの某さんのところのラジオにゲスト出演した。ちょっと惚れちゃった。そんな私を嘲笑うかのように不意にぶっこんできた。予想できそうな問いだったけど、その時の私には唐突だった。


「ブログを書く目的ってなんですか?」


沈黙が嫌いな私は咄嗟に「自己満足です」と答えた。答えてしまった。いつもそうだ。私はそれが真意なのか考える暇もなく答えてしまう。吐き出してしまう。


よーい!ドン、で一番先に口まで辿り着いた言葉を、真意の検問をすり抜けてきた言葉達を、いつも取り逃してしまうんだ。そんな逃げ出した言葉達のことを必ずあとで考えてしまう。それって私なの?って。本当に思っていたことなの?って。


きっと私のシナプスはヒネクレている。捨て犬拾わないタイプだな。クソがっ!


そんなシナプスの反抗期のせいなのか、なんでweb上で日記を書くんだろうなんてな思考まで湧いてきた。クソがっ!


とは言え、私自身も知りたい感情はある。結論が出るかは分からないのだけれど、ラスカルだかパスカルだかマジカルみたいなふざけた名前の人も『人間は考える葦である』とか良くわかんねーこと言っていたみたいだし。私も良くわかんねーこと言っても許されるはずだし。思い切って考えてみようと思う。だって人間だもの。せんだ(みつをね


私が一番最初に日記を書いたのは小学3年生のときだった。


よくある先生に見せる用の「日記」という名の提出物とかじゃなくて、自分のためだけの純粋な日記だった。雑貨屋で買った鍵つきの日記帳がそれだった。


「おばあちゃんに◯◯を買ってもらった」


だの


「学校で◯◯くんがこんなことを言っていた」


だの


「〇〇ちゃんのイスの裏に鼻くそいっぱい付いてた」


だの


その日の“出来事”をメインに書いていた。わりと鮮明に。誰に見せるわけでもないのに。


でもなぜだろう。


『出来事』という『記憶』を冷凍保存して、あとでじっくり解凍して面白がるため。なのかな。


そういえば私はヒイババア曾祖母の昔話を聞くのが好きだった。この人が死んだら誰も知ることなく消えていってしまう『記憶』に私は惹かれていた。キラキラしてさえ見えた。


だから私は親戚の誰も知らない『記憶』を持っている。ひい、ひい、ひい、ババアおばあちゃんの職業や名前までも。その『記憶』は尊いものだと。『失われる』ものは尊いものだと。『失われた』ものは尊いのだと。そう思っていた。


『もう手に入らないものは貴重で価値がある』そんな存在しないクソみたいな偉人の言葉みたいな思いが私の中にあるんだ。生まれたんだ。


私はいずれ過去に流れる現在を日記帳に閉じ込め保存し、のちのち『失われた』ものを思い起こし、愛で、懐かしむために書いていたんだ。これが原点だったんだ。


その証拠に少し大きくなって、ケータイで誰でも気軽にホームページを作成できるようになったとき、私はそこにも日記機能を設置した。閉じ込めそして愛で懐かしむために。


当時付き合っていた相手にも日記を書くよう強要した。web上の交換日記のようなものを。やがて失われる記憶を保存して、「思い返して懐かしむため」という役割のために。


忘れるのは惜しいという気持ち。ものを捨てられない執着心と似ているのかもしれない。


その後、mixiという、今は廃れたSNSが登場する。


知り合いが見る前提のため、人に見られることを意識した日記を書いた。あのトップ画面に躍り出る、「新着コメントが◯件あります!」という赤い文字、あれはヤバい、麻薬だと思う。


その頃からか少しづつ私の中に変化が訪れたのは。記憶の保存をしたいという欲求よりも、承認の欲求に執着しだしたからだ。見事私の欲求の源をくすぐられてしまったんだ。


高校のときのクラスが違う話したこともない人に「おもしろい人だと思う。もっと話しておけばよかった」と言われた。おせーよ。


でも嬉しかった。日記という文章で内面を知り、興味を持ってくれる人がいるのだということを知った。


その頃とあるブログに出会って、私はその人の文章に魅了された。彼女は苦しみに満ちていたけど、それ以上に輝いていた。羨ましいとさえ思った。


平凡で、地味で、それどころか、悲しくて、苦しくて、クソみたいな、ビチクソみたいな私の人生にさえ、文章によって、奏でた文章によって、自分で色を付けていくことができるのかもしれないと思った。彼女のようには到底奏でれないけど、やってみたいと思った。強く思えた。


文章によって味気ない人生に色を付け、意味を与え、価値を見いだすことができたなら、それは凄いことだ。そして読んだ誰かが私という人間を認めてくれたら嬉しいし、そうでなくても、自分で自分を認められるようになったら万々歳だ。


ここまで書いて……… 結局、私がブログを書く目的ってなんなんだろう。


1つ気づいたのは、自己満足という言葉だけではとても片付けられない思いが自分の中にあるのだということだ。


もしかしたら、私からこぼれ落ちてしまったあの言葉を掬い上げるのが、このブログの役割なのかもしれない。


となれば私は、私の言葉を、言葉達を、大切にするためにこのブログを書いているのかもしれない。

 

 

最後強引だなも


勝手にリライト企画


ですね。

※ちゃんと本人に許可もらってます