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夢は叶わぬモノ。それが僕のスタンダード。2020

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中学2年から、あの日の僕から、ずーと存在している。


夢は叶わぬモノ。ていう考え。


夢はいつか叶う。努力すれば必ず叶う。叶うモノなんだ。


そんな言葉を一度は聞いたことがあるはずだ。よね?そんな言葉をスタンダードにしている方には申しわけないが、僕はそうは思わない。思えない。いや、思わないようにしている。が、正確かもしれない。


過去にトラウマになるような何か衝撃的なことがあったわけじゃない。僕の中の少ない経験値が生み出した、少ない脳みそのシワ達が考え抜いた、それがコレなんだ。導いた答えがコレなんだ。


この考えはとってもしぶとくて、『今の僕』という成長した現在でも存在し、揺るぐことはない。揺るぎようがない。そんな頑固モンなんだ。


勘違いして欲しくないのは、あくまでもコレは僕の答えであって、決して正解というわけじゃない。かと言って不正解とも言えない。よね?決して間違いだとは言えないはずなんだ。


当時の僕から現在の僕まで、幾度と考え解いた答えがコレということなんだ。コレが正解かどうかはまだ答え合せができていない。


いや、答え合せはしないかもしれない。寧ろしたくないとさえ思っている。答えを導いたことで、答えと思っているだけで、僕は満足しているからだ。


何だかんだ言ってあの日の僕を尊重してたりする。あの二度とこない危なっかしく、力強くもあり、最弱な時の僕を。アオハルの時の僕を。無下にはできないよね。


 

僕はこう思うんだ。


夢を描いた瞬間から、人はそれに向け努力する人も居れば、何もしない人も居る。当然何もしない人は、その段階で叶わないと言える。よね?


努力を始めた人は、個人差はあるけど、少しづつその夢に近づける、近づいていく。当然、近づけなかった人は叶わないと言えるよね。


その近づけた人のその夢は、実はもう夢ではなくて、目標或いは目的に変化すると僕は思うんだよね。そしてそれとほぼ同時に、新たに夢が生まれる。或いは既に生まれている。そう思うんだ。何故かね。


だから夢は叶わない。常に夢を持ち続けていく。それが僕の考えなんだ。僕のスタンダードなんだ。


夢と一度は置いていたものが叶うのであれば、夢が叶ったと言っていいのではないかと。そう無駄にアツく鼻息全開でツバをまき散らしながら顔真っ赤に叫び散らす人も居るだろう。そんな人は病院にどうぞどうぞ。

 

そんな話はどうでも良くて


とにかく僕はそうは思わないし、思いたくないんだ。ないんだよね。


夢は叶わないモノと置くことで、前に進もうという思いを抱けるんじゃないかなと。歩き出せるんじゃないかなって。歩き出すきっかけになるんじゃないかなって。安易だけどね。凄く難しいことだけどね。でもやっぱりそう思いたいからかなって気づいたかな最近。そんな2020年。決して損な2020年ではない。よね?


だから単にポジティブが嫌いだというわけじゃないんだよね。寧ろその方が良いと思う。かと言ってネガティブがダメというわけでもないんだけどね。まぁ~その話はいつか機会があればね。


ただ、この夢というものに関しては、ポジティブ過ぎるのは、甘過ぎるのは、甘やかすのは、誰の得にもならないんじゃないのって、そう思ってしまう。僕はね。


夢の実現のための過程では、励みというか、やる気というか、モチベーションの向上とか、モチベーションの維持にはいいとは思う。


でも、その実現が無理だとなった時の落差が、ポジティブであればあるほど、より大きくなるような気がするんだよね。叶わぬモノとなった時の衝撃という痛みの大きさがね。全てを奪われたような錯覚にさえ陥ってしまう心の傷がね。


その痛みから逃げたいと僕は考えたのかもしれない。でも、かと言ってやる前からどうのこうのと逃げ腰になったというわけじゃなくて、どう向き合うかってことなんだよね。


やっぱさ、覚悟を持った人が、決めた人が、いや違うな。


覚悟を持ってから、決めてから、夢を語り夢に挑むべきなんじゃないかなと。だからこそ叶わなかった場合もちゃんと受け入れられるのではないかなと、そう思う。からなんだけどね。う~ん。


安易に夢を語るのが悪いことではないと思う。寧ろ今の時代、この安定しない時代に夢を語れる方が貴重だし、本当に素晴らしいとさえ言えると思う。いや言えるよ。ありがとう(何で?


ただ、安易すぎるが故の、叶わぬ際の痛みを、涙を、見たくはないなって思っちゃう。僕はね。


覚悟を決め、挑み、敗れた涙であれば、ね?別だと僕は思うんだけどな~。意外というかわりとスポーツマンみたいだ僕は。改めてそう思う。関係ないけど。

 

夢は必ず叶う。


そんな言葉を聞いたなら、ひねくれてる僕はさ、じゃあ、高校球児は全員甲子園で優勝できるね。とか。全員世界新記録で優勝だね。とか。全世界の国がワールドカップ優勝だね。とか。


クソガキのような発想だったのかもしれないね原点は。僕のスタンダードって奴は。


今は夢すら持っていない人が多く存在しているのかもしれない。或いは大きな夢を持とうなどと思わないのかもしれない。


だから、夢は持ってこそで、持とうと思う人は努力する人で、叶う確率の高い人ということになるんじゃないのかな。


いやでも、必ずしも叶うわけじゃないよね。実際ね。だからこそ結果という勝敗があって、勝利した者の価値ができて、取り組んできたことへの価値が生まれると思うんだよね。


もちろん敗れたとはいえ、そのステージまでの道のり全ては価値があるものだと思う。決してそれを否定したいわけじゃないんだよね。敗れた人だからこその夢への価値をもてるわけだし、そこまでの努力の価値は勝者と変らないと思うんだよね。


夢は常に抱くモノ。目指すモノ。そういう意味をもった夢は叶わぬモノという考えが、僕はしっくりくるんだよね。まぁ、あくまでも僕のしっくりでの話だけどね。


あなたはどう思いますか?夢をどう捉えていますか?


考えてもいいとは思うけど、まずは夢をもってからじゃないとね。それが1番難しいんだけどね。

 

じゃあ夢を持つことが夢だったら。


こんな未だクソガキみたいな思考しかないできない僕は、叶う叶わない以前だろうね。


でもそれが正に僕のスタンダードなんだろうな。


ですね。
※Rira