今週のお題「おかあさん」
「ガンになった。」
今から十数年前、母親からそう電話がかかってきた。
学校の寮に入ることになり、家を出てから、その惰性のように社会人になってからもそのまま家を出ていた。
別居という状態が長く続くと、帰省などで会った時には何を話していいのか、どう接していいのかと、他人以上にぎこちない関係となっていた。
そんな親子の交流と言えば、お金がないという勝手な子供からのアプローチが主流であり、その度に何かあったら連絡しなさいと、ガイダンスのように電話の向こうから毎回聞こえてくる感じだった。
稀に電話がかかってくるのだが、内容は子供側からすれば正直どうでもいいことで、単にネタができたからというチャンスをモノにする勝者のような感じだった。
「どこどこの誰誰が・・・」
親戚から近所までありとあらゆる人間関係を駆使してチャンスを掴もうとする親側の戦略に、いい加減うんざりしていた時の電話だった。
「ふ~ん、で誰が?」
親の兄弟でそんな噂があったのを前回の電話で聞いていた。検査をするとかしないとか言っていた結果の話だろう。さっさっと終わらせてと頭をよぎった時だった。
「乳ガンなんだわ。私が」
一瞬にして、全身の血が動き出したのを感じた。何を言ってるんだなんて聞き間違いを疑う隙さえ与えてくれないほどの大きな声でそれを聞いたからだ。
何か言葉を待っていた。お互いに。どう続けるべきかという母親と何て答えていいかという子供との間に。
あの時、どれだけ時間が経ったのだろう。
親だからと決心したのか、最初に口火を切ったのは母親だった。
「手術で取るんだわ。左側なんだけどさ、何か最近ちょっとおかしいなと思ってさ…」
ゆっくりとした口調のせいだろう、恐ろしいほどにリアルに手術の風景が想像できていた。
何かを続けて話していたが、正直覚えていないというよりも、聞こうとしていなかった。
何かを話さなければならない思いと同時に、しっかりしなきゃというよく分からない子供なりのプライドのようなものが混じり合い、訳が分からなくなったのか、分かっているからこそなのか。
何をムキになったんだろう。自分でも正直覚えていなかった。
「取りゃいいじゃん!どうせ使わないんだし。それで助かるなら迷う意味ねーだろよ。何なんだよ」
「いや・・・簡単に言うけどさ・・・」
もうそれ以上の会話は覚えていない。とにかく、いち早く電話を切りたいとそう思っていた。
手術の日程を最後に電話は切れた。
親子というのは本当に不思議だ。他人じゃないというのは異常だ。
あんな事を言っても、変わらない関係でいられる。逆に親子だからこそ言えるのかもしれない。言えてしまうのかもしれない。
でも、親子だからこそ、そこは言っちゃダメだったのかもしれない。
だが、親子だからこそ、真意に気づいてくれたのかもしれない。
その答えは今となってはわからない。
後悔先に絶たず。正に、いくら後で悔やんでも取り返しがつかない。その通りだと思う。
言ったことは消えないのだから。起きたことは消せないのだから。
未だにこうして思い出す。まだまだ消えない。いや一生消えないことかもしれない。
もし・・・こんなことを言ってもしかたないのだが
もし戻れるなら、やり直せるなら、あの時なんて言葉をかけたのだろうか。かけることができるのだろうか。
今更こんな事を考えてしまうようではいけないなと、再認識した。
今こうして、思い出しながら記事を書いているのだが、もう3回はLINEが鳴っている
お金少し何とかお願いします
なるべく早くお願いします。
お願いします。
ガンがこの世からなくなる日が必ず来る
そう信じている。
ですね。