連休中の話をしよう。
雨の中を歩く。いざスーパーへ。
連休のだらしないなまりまくった体に
雨とは言え、上空で必死こいて霧吹きしまくってるレベルだ。つまりは何だかんだ言って傘はいるぞレベルってわけで。やっぱ雨かと当たり前に納得しながら歩いていた。
「蟻からしたら琵琶湖級だろうな」声にならない声で水たまりに話しかけてみる。「フッ」そんな映画のワンシーンにありがちな、はにかんだジジイの顔面のシワのように、水面はいくつもの波紋をつくっていた。瞬き?返事?なのか?
緊急事態宣言だ、まん延防止だ、という全く効かない必殺技みたいな世の中だからというだけではないだろうけど、前より確実に人が出歩いていない。田舎とか、雨とか、そんなのも重なっているんだろうけど、人がいない。単に休みだからってことなのかな。
時刻は18:30だったかな、もう十分暗い。そういうのもあるのだろうか。街灯がアスファルトを夜景に変えていた。どういうことなのかは聞かないで欲しい。ほしーいの。ほしのあきって居たよね?本人談らしいのだけど、唐揚げを食べて巨乳になったらしい。ためになったね。
そんな話はどうでも良くて
傘を左手に持ち替える。空いた右手首を回す。前から人が歩いてきた。そこまで雨が強くないとはいえ、傘もささず男が歩いてくる。すれ違いざまその男が持っていたレジ袋を確認すると、トイレットペーパーと洗剤関係だった。
いや、トイレットペーパーは分かるよ、必要不可欠なものだし。何ならもう無くなりそうとか、無くなってるとか、あるでしょそういう理由が。でも、その洗剤は今じゃなくて良くね?洗剤といっても洗濯用でもないし、食器用でもない。俗に言う住居用洗剤というか排水用洗剤と呼ぶのが正しいのかアレだが、ずばりパイプマンだ。取っ手のついたデカイヤツだ。1000ml用だ。
本当に今必要なのかそれは?一体なんのメリットがあるというのだろうか。乾燥ワカメのように雨に濡れることでフッサフサになるというのならまだ分かる。だが実際は、ほうれん草のお浸しの食べ残しみたいな髪の毛を壮大な
そんな僕の脳内悪口が聞こえているのか、その
そんな話はどうでも良くて
とにかく、何か文句あるんか?という意思表示のために僕は立ち止まった。目線は外さない外すわけがない。何故ならその
じゃあな
(どした?)
(お前アホだろ?)
そんな話はどうでも良くて
スーパーに着いた。そりゃ着くよね目指して歩いていたんだから。目的は買い物。生きるために、食べるために、食材を買う。当たり前のこと。その当たり前をするにはお金が必要。そのお金は当たり前ではない。だから必死に生きるしか
今そのお金は電子という苗字を得た。出世なのだろうか。今までとは違うぞアピールをしているのだろうか。色んな人が色んな思いで、それぞれの買い物かごに食材を入れる。人ぞれぞれの必死がその
帰り道。さっきの
ハゲはハゲなりに必死からあのトイレットペーパーとパイプマンを買ったのかもしれない。食材を買わずアレを買っていたことからもそう言えるのかもしれない。生きるために、アレが必要だったんだろう。
食べるからこそ、食べたからこそ必要なモノ。それがトイレットペーパー。理に
何が詰っているというんだろう。流れからいってトイレがと思うかもしれない。しれないがパイプマンではないだろうな。どちらかというと尿石とかが原因の場合があるらしいし、トイレ用の洗剤が妥当なはずだ。であればやはりそういうことなんだろうか。現在進行形だということなんだろうか。てことはまだ最終形態じゃないと。まぁそうか、お浸しだったしな。散らかってたからな。つるっとしたら最終形態なんだろうか。フリーザみたいだな。
どっちにしても、ハゲには変わらない。となるとハゲってどっから?いつから?ハゲなんだろうな。生まれた時だってハゲっちゃハゲだろうし。人は毎日何千何万本と髪の毛が抜けていると言うし。抜けるがハゲの概念であれば全員ハゲってことだが。あっそうか生えてくるかこないかが重要か。てことは、ハゲとは生えてこないが大前提なんだ。ハゲの概念は生えてこないということなんだ。なんだな。
70
雨の日に歩いたことで、考えることになってしまった。答えがあるのかないのか、というよりも、答えを見つける必要があるのかないのか。そう思う。
こうやって僕は、何気ない日々を
連休で僕はまた1つヤバくなった気がする。
これが僕の生きるための必死ということなのかもしれない。
逆にハゲそうだな
ですね。