歳を重ねると1日が早く感じるなんて聞いたこと言ったことありませんか?いや別に答えなくてもいいですけど。
僕は当然あります。聞いたことも言ったこともあります。まっ無意識なんでしょうが望んでもいない
「子供の時と違ってやることあるからだよ」
なんて良くでもないですが聞きますけども。実際何もしていなくても知らないうちに日が傾き暗い部屋に1人みたいな状態になっている僕としてはですね……
何言ってんだテメェ?さっきから分かったような口利きやがって、テメェのマスクの全繊維にカメムシの肛門
そんな話はどうでも良くて
とにかく、ちょっとマジと言いますか、まともなこと言いますと、恐らく時間を気にするからじゃないかと思うわけです。つまり、今現在が一体何時なのかを大人になればなるほど確認しようとするのではないかと。だから余計時間の経過を強く感じてしまうんじゃないのかと。こうマイ脳みそが言うわけなんです。なんです。
これってまんざら間違いでもないのかなーとか思ったり、しちゃったり、うんこしたりでして。いや唐突にうんこはするなよなんですけども。そこはやっぱりどう考えてもアメリカのタクシーよりもショッキングなイエローヘアーなんです。そうです美輪明宏なんです(もうやめなさい
そんな話はどうでも良くて
要するに、正に用をするに、トイレは考え事するのに適所だよねと。なのにハバネロは酷いよねと。15人も必要なかったよねと。そんな、正に損な伏線とも言えないくだらない汚物みたいな過去の発言を回収みたいな。トイレだけにね。みたいな。そんな感情なんですかね?(知らねーよ
でも、重複にはなりますけど、知らないうちに気づいたらなんてなことが大半なわけですから、必ずしも時間を気にしたからだとは言い切れないじゃないのと。てことはやっぱ違うのかもしれないじゃないのと。
じゃあ一体どういうこと何だろうなんて考えるのはいつの時代の人も同じみたいでして、昔の哲学者が法則なんてなもんをつくっていたみたいなんです。なんです。
ジャネーの法則
ジャネの法則(ジャネのほうそく)は、19世紀のフランスの哲学者・ポール・ジャネが発案し、甥の心理学者・ピエール・ジャネの著書において……
(中略)
簡単に言えば、生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢に反比例すると主張したものである。
例えば、50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどであるが、5歳の人間にとっては5分の1に相当する。よって、50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間にとっての1年間に当たり、50歳の人間の1日が5歳の人間の10日に当たることになる。
出典: フリー百科事典『Wikipedia』
まぁ、いまいちよく分からないと言うか分かりたくもないと言うか、そんなジャネーなのかジャネなのかアレですけど、この法則が何がどうなのかとかはこの際どうでも良くて。
それより何より、いつの時代もやっぱ同じこと考えるんだなって、それを何とか言語化したいって思う感情があるんだなって、ちょっと感動しちゃったりしたわけなんです。嘘ですけど←
とにかく、歳を重ねると時間の経過を早く感じるのは確かなんだなと。ただ、楽しいと時間が経つのが早いなんて言葉もあるわわけで。僕も余すことなくこの言葉にも追いついているわけで。何なら追い抜いて逆に追いかけられてるぐらいなわけで。ちょっと今自分で何言ってるか分からないわけで。つまりそうですやっぱり美輪明宏なんです(もうそれでいいです
やんややんややんや
なんやかんやでまとめると、僕は大人になればなるほど、歳を重ねれば重ねるほど、時間の経過を早く感じるのは、実は楽しくてしかたがないからなんだと思うことにしたんです。無理やりでもそう思うことにしたんです。決めたんです。
だから今僕がやってることは楽しむためなんだと強く思っているんです。美輪明宏の名前をこれでもかと使用するのもそういうことなんだと思っているんです。思い込んでいるんです。楽しむためなんだと言い聞かせているんです。自分自身に。決して病気じゃないんです。
ブログ書きたいな~と思える時はいいんですけど、何かのらないな~って時があるんです。くるんです。なるんです。きゅんです←
となれば無理にやってもなんで、相も変わらず映画観てます。観には行けてないですけど観てます。そのうちまたブログにでもしようと思います。何かそんなこと書くようなブログでもないのにね。いいでしょ?そんな変化も。ね?
一部で、ほんの一部でしょうけどラジオの要望もあるみたいですけど、それもそのうち気持ちがのればやりたいなと思います。そうですね、コラボとかも…とは言え、何気に時間もそうですけど、それより何より相手探しが1番大変なんですよね。まぁ~そのうち。何とか。ね。
まだまだコロナって3文字にやられている世界。ワクチンを信じ切ってマスクをやめちゃう人も、コロナ自体を信じずマスクをしない人も、傍から見たら同じなんですよ。同じなんだよ。同じに見える世界なんだよ。相反するもののようで結局同じになっちゃうんだよ。とか思ったりしたんです。たんです。
各々の考え方があるんだろうし、何が正解なのか、そもそも正解があるのかないのか。皆が皆、もがき苦しみと言うと大袈裟かもだけど、でもやっぱり苦しんではいると思う。今も。尚ね。
抜け出せそうに見えたり、そうじゃなかったり、そんなこと考えていても時間は待ってくれなかったり。別に
そんな自問を繰り返す日々を過ごしてたんです。決して自答しないんです。それは何かを諦めてるとかではなくて、まだ答えが見えてないだけなんです。見つけれていないだけなんです。見えるはずだと信じているんです。僕なら必ず見えるんだと思いたいんです。たいんです。
ちょっとどころではなく、一体何を言ってるのか本当に自分でも分からなくなってきたんですけど。でも、良くしたいなっていう思いが根底にあるのは確かではあるんです。その根っこの部分がブレない限り、僕は大丈夫だなって思うことにしたんです。決めたんです。たんです。
という結局のところ希望論なんですけどね。希望を持てないよりマシでしょって思うんですけど。ね?
そんなことをブログを更新せず考えていたりしていたと、決めたりしていたと、そういう報告なんです。この記事は。
ここまで読んで思っているかもしれないので、念のため断っておきますが。僕は本当に薬はやっていないんですよ。キメてなんかいないんですよ。これは希望論ではなく本当のことなんですよ。美輪明宏さんへの謝罪と同じくらい本当なんですよ。信じてもらえなかったらショッキングイエローなんですよ←
はい。僕への変な疑いが晴れたところで終わりとしますか。まっそれ以上により一層の美輪明宏さんサイドからの怒りを買ったわけですけどね。プライスレス←
え~長々あれでしたが、僕なりに言葉にしてはみたのですが伝わるんですかね。つか、そもそも僕のブログって何か伝わったりしてるんですかね。何か無駄に不安になって悲しくなってきたので早々と終わります。
では、再びここで会える日まで。
という希望論←
(頑張ります)
ですね。