人は言い訳をする。他人に対して、そして自分に対しても。
僕の思う他人に対しての言い訳ランキング1位のワードは『価値観の違い』
最近はあまり見かけないが離婚会見なんかで良く聞いた気がする。
身近な人達の交際の破局でも必ず出てくる言葉だった。
価値観の違いで別れる。
そもそも価値観が同じ人など居ないと考えている僕としては、今更なんなんだと思うのだけども。
お互いの価値観を尊重したが、理解したつもりだったが、やはり受け入れれないものがあったということなのであろう。
となれば正に価値観の違いということになるわけだ。
じゃあ~仕方がないのかなと思ってしまう魔法の言葉、『価値観の違い』
他人に対しての効果は絶大なはずだ。言い訳ベスト1は流石なわけだ。
では、僕の中の自分に対しての言い訳ランキング1位は何かと言えばそうです『運命』
言い訳というよりも言い聞かせるという感じで自分で自分自身に納得させるのに必要な言葉のような気がする。
運命の人と巡り合えたなどと、自分の行動へのサポートに使うこともあれば
運命だったんだよと何かに責任を押し付けたいときに使うこともある。
人は何かのせいにしたい生き物のはずだ。何か理由があって初めて納得できるわけだ。
それは何でも良いわけではないだろうが、無いよりましで、その中で運命となれば信じようが信じてなかろうが、何となくそうかなと思えるようになる。
と思う。
そんな魔法の言葉、『運命』
この2つの僕の中の言い訳ランキング1位同士は密接な関係にあると思っている。えっと僕がだ。
何を運命と思うのかは個々で違うはずだ。となればそれに影響を及ぼすのが個々の価値観というわけだ。当たり前なのだが。
何気ない出来事を運命と思えるか否か。
正に奇数と偶数のように、1つ違えば、1つ変われば、奇跡にも偶然にも捉え方は変わってしまう。
その基準は全て個々の価値観ということなんだろう。そう思う。
ただ、1つの出来事を多くの人達が奇跡と感じることがある。逆に偶然と感じることがある。
ということはだ、価値観には共通項があるわけだ。価値観が全く違う人などいないのかもしれない。
とは言え、価値観は変化するはずだ。そもそも価値観とは個々の人生での経験が影響しているはずだ。
同じ経験をすれば近い考えになっても不思議ではない。何に影響を受けてきたかで変化する価値観。
その影響というモノを洗脳のように多くの人に対して与えれば、同じ価値観に統一されてしまうこともあるわけだ。
価値観とは影響を受けやすいモノなんだろうなと。それを決めるのは自分なんだろうけども、決める基準はそれまで生きてきた経験からなる価値観なんだろうなと。
自分で何を言ってるのかわからなくなりかけてしまうが、そういうことなんだと思う。
運命と思った相手と価値観が違うと別れてしまう。
矛盾のように感じるが、きっと価値観が変化したのだと思えば、何とか納得はできるはずだ。
卵か先か、鶏が先かではないが、運命が先か、価値観が先かなんて考えもしてしまう。
運命と感じるのは価値観だとして、その価値観は経験から生まれるのであれば、価値観が形成されなければ運命と感じることはないのだろうか。
確かにある程度の前情報という知識がなければ運命と捉えないかもしれないけども。
何だコレ?と驚いた時に、それは運命だよと教える場合もあるはずだとも思う。つまり、運命の知識を知らないだけで、特殊なものだと感じる力はあるのかもしれない。
とは言え、特殊だと感じれる価値観があったからではないかとか。
価値観からの運命。そういうことなのかもしれない。と僕は思う。
結局、奇跡的な〇〇や、神秘的な〇〇なども、きっと価値観がもたらす産物なのかもしれない。
とか思うのだが。何だか自分が寂しい人間のような気がしてきた。
きっとだ、きっと、こんなことを考えるという事自体が必要がないことで、答え的な追及も意味がないことなのかもしれない。
何かを知りたいという思いは良いのだが、必ずしもその先に幸福感があるわけではないということなのだろうか。
だがこれもまた、僕の、僕なりの価値観なので仕方ないのかもしれない。
そしてコレをブログというモノで発信するという運命なのかもしれない。
だからコレを読んでしまった皆さんはきっと、そういう運命だったのかもしれませんね。
ただ、そう思える価値観があればの話ですけどね。
このブログを読んだことがあなたにとって偶然なのか、はたまた奇跡なのか
あなたの価値観はどっちを選んだんでしょうね。
たぶん・・・
選ばないという選択でしょうね。
ですね。