ただいま。
いや、言ってみたかっただけ。
ここ最近、ちょっと気になっていた。うまく思い出せないでいた。思い出すに上手いも下手もあるのか疑問ではあるけど、うまく、そう上手く思い出せないでいたんだ。
「何か架空の歌手がいてさ」
「いじめとかそういうエグい系で」
「あっ青猫!そうそう青猫ってやつがさ」
映画好きの会社で分かりそうな奴に聞いてはみたが、全員ポカーンと。そりゃそうよね肝心の「誰が出てんの?」に答えれないんだから。
検索しても上手くキーワードを入力できていないようで、たどり着かなかった。そんなモヤモヤなど忘れかけていたある日。そうある日。つか、最近。ついに見つけたんだ。たどり着けたんだよ。
『リリイ・シュシュのすべて』
それは偶然だった。『リリーのすべて』という映画を観たという文字に、何かピーンと来たんだ。最初は正にそれだと思っていた。が、まるで違う映画だった。だったがリリーという響きが僕の海馬を駆け回って連れてきたんだ。
リリイだよって。
で、やっぱ観ちゃった。
初めて観たのは10年くらい前だった。徹夜明けという無駄に研ぎ澄まされていた状態だったのもあるのかもしれない。ましてや中学生ほどではないけど、今よりは数百倍思春期にシンクロできるような、そんな多感な一面があった時でもあったわけで、衝撃だった。
心がえぐれた。
この映画は特に賛否両論が強い映画と言われている。が、正直オススメはしない。恐らく否が正しい。賛は作品として作り物として観れる人だからだと思う。一切リアルに結び付かないそんな人達だと思う。本当の意味で感情移入する相手が、感情移入できるような相手が居ない人達だと思う。そんな思春期のなんとなくな難しさが具現化されたアートとして観れるからだと思う。
1つ断っておくが、それがダメなことだとは思わない。この映画から何かを汲み取り感じ取れたある意味純粋な人達だからだ。
ただ僕は違ったというだけだ。自分がもしかしたら青猫になっていたかもしれないと、意思とは関係なくシンクロしかけてしまう嫌な感覚が勝ったから賛にはなれなかったんだと思う。
賛が思うリアルと僕のリアルは同じじゃないから。
とは言え、否がみんな僕と同じというわけではない。恐らく、不愉快だとか、観なきゃ良かったと、何が言いたいんだよと、そんな感覚だと思う。そしてそれこそが、僕の思う正常な反応だと思う。観なくても知らなくても困らないはずだから。もっと違う形で、表現で、考える方法があるはずだから。そう思う。
そんな微妙な感覚のこの映画を僕は何故か探していた。今の僕ならどう受け止めるのだろうかと。
で、久しぶり観た感想だけど。驚くほど普通に観れてしまった。感動とかはそういうのはない。賛否両論のどちらでもない。そういう映画ねって感覚。ただ、オススメしないというのは変わらないのだけど。
あの時観た、あの時感じたリアルは、もう僕の中では驚くようなことではなくなってしまったのかもしれない。それほど今が、今の世の中が、そうリアルが、エグいのかもしれない。上をいっているのかもしれない。
そう思うと、正直気持ちのいいものではなかった。
風景がキレイとか、あっあの俳優だったの?とか、誰々も出てたの?とか、作品への集中すら微妙だった。2回目だからなのか分からないけど、もう僕の中では受け入れたというか、受け止めれたようだ。それくらい僕はクソになったんだなって思ったりした。わりと本気で。
いじめをしてる人にこそ観てもらいたい
そんなことを言っている人がいた。から観たというのが動機だった。それで何か変わったわけではないけど。観といて良かったのかなとは思う。こうして約10年後に観ようと思えたのだから。
何度も書くが、だからと言ってこの映画をオススメはしない。今の世の中にはもう必要なものじゃないと思う。けど、今の世の中じゃ絶対作れない映画ではあるとも思う。
僕はもうこの『リリイ・シュシュのすべて』からは卒業できた気がする。もう観たいとは思わないだろう。もう探すことはない、また名前すら忘れてしまうかもしれない。そんなこの映画を僕は嫌いにはなれないでいる。
それが、その感覚こそが、僕の、今の僕の、すべてなんだとおま思う(噛んだ)
少しでもふざけたいのが、このブログのすべてなのかもしれない。
ですね。