今週のお題「わたしのインターネット歴」
閲覧側を抜いて、発信する側としての歴は現在進行形で約3年ちょっとと表現できるくらいだと思う。
そう大したことないわけだ。しかもその間には約10年というブランクもある。となれば、ほぼほぼ1年目みたいなもんだ。
ただ残念なことにピッカピカではない。パッサパサだ。クロワッサンみたいなもんだ。パッサパサだ。セミの死骸みたいなもんだ。パッサパサだ?
基本僕は飽きっぽい。短期集中型だと自覚している。そして気分屋だ。当たり前だが気分を売ってるわけではない。所詮こんなくだらいことを言うパッサパサ野郎だ。
一応このブログは続いているようなので自分では少しほっとしている。ただ、気は抜けないのだが・・・。
承認欲求と良く言われているが、そこから生まれる自信が欲しいのだと思う。
自信は一人では築けない。そう考えている。
確かに、スポーツなどで何度も練習し繰り返し継続することによる自信はある。続けているというだけで、それはもう自信となるわけだ。
だが、それは練習の成果があっての事で、その成果を誰かに評価してもらっての事で、結局他人あっての自信ではとか、ひねくれてるかもしれないがそう思っている。
つまり、人とふれ合わないと自信は生まれないのだと思う。
自信がないと人との接触を避け、引きこもる人がいるけれど、自信を得るには出るしかないのだと思う。ふれ合わなければならないのだと思う。極論かもだがそう思う。
僕はわりと人見知りだった。もちろん過去形だ。だが、ベースはまだある気がする。
そうなると自信を得るのに苦労する。人見知りのくせに欲するとかどうかしているわけだ。
どうかしてるとは言え、上半身裸でアチョーとか奇声を上げながら、両手で体の至る所を擦りながらカンフー摩擦とかくだらない事を言っている年金暮らしの親戚の爺よりマシなのだ。比較対象がアレだがマシはマシだ。ゴッシゴシよりマシなわけだ。パッサパサだ。
自分で言うのも何だが、中々器用なようで広く浅くでかわしながら、なんやかんやで自信を得ている。気でいる。思い込みだとかは言わないでくれ。
ただ、これといった誇れる唯一無二の主力的なモノが僕にはない。気がする。いや多分間違いない。言い切る自信はあったりする。厄介だ。
だから、いつまでも、何かを補うように自信を得ようとさまよっているのかもしれない。ふれ合おうと探しているのかもしれない。
だからこそ、一度やめたというこのネットに戻ってきたのかもしれない。戻れてるとはまだ言えない状況なのだが。
とはいえ、戻れたとして、自信が得られるとは決まってないわけだ。それこそ、得るどころか失う可能性もあるわけだ。
何をもって得るとか失うとかが決まるかはアレだが、どちらにもなり得るのは間違いないわけだ。たぶん。
なのに欲求が上回りこうして発信側として居るわけだ。今尚。正にパッサパサだ。
ただ、こんな感じで意味不明な駄文を発信しても、何かの間違いで読んでくれる人がいたりして、それだけで何故か喜びを感じてしまうのも事実だ。にっこにこだ。パッサパサでにっこにこだ。つまりサイコだ。
えっと話を変えよう。
最近良く見かけるようになったというか、何故ソレをわざわざ発信しなければなのかの方が興味があるわけだが
『ネットとリアルはもう別ではない』という内容の言葉を目にした。
確かに以前というか昔というか、別世界としての楽しみ方が主流だったのかもしれない。
だが、今でも別としても良いのではと僕は思う。リアルと無理に繋げなくても良いのではと感じる。今だからこそ、そう思うのかもしれない。
皆が皆リアルとつながる身近な存在である理由はない気がする。そこまで僕はネットにつながりを求めていないのかもしれない。
のくせ、自信は欲しがっているわけだ。パッサパサだ。矛盾しまくるめんどくさいパッサパサなわけだ。
とにかく僕はパッサパサなりに今インターネットをやっている。これからも。
その為に今こうしてブログをやっている。
そう・・・
自信と言う保湿を求めて
(アホじゃね?)
僕は自信の前にアホを得たようだ。
ですね。