ですね。note

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月刊S8月号『日本人』

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毎年24時間テレビのCMを見ると、無駄に現在の時期を感じようとしてるのか、もうこんな時期かとつぶやいてしまう自分が居る。


いや、病気ではない。はずだ。


年々、賛否両論どころか否が大きくなってるように感じるのだが、この先いつまでやるのか、逆に注目というか気にはなってしまう。


出演者のギャラが高い、募金額より高いやら、見世物にしてるやら、中々の否である。この影響か出演者自体も出たがらないなど、本当か嘘か分からない情報が出回っている。


だが、ふたを開けてみれば高視聴率だったとのこと。番組歴代22位というのは基準としてどうなのかだが、全41回中の22位ということなので・・・いや、やっぱなんか微妙だ。


筆者は以前は観ていたこともあるが、もう全くと言っていいほど観ていない。CMを観かけると、警戒するぐらいチャンネルを合わせないようにしているぐらいだ。


理由は否の意見が大きくなったわけではなく、高校での寮生活でテレビ自体観れなくなった経験の影響である。と勝手に思っている。


めったに観られないテレビという感覚から、少しでも楽しいものを観たい。そんな感情からだと思う。


そういう観点で言えば、見世物ではという意見は、少し分かるような気がする。


ただ、世の中にこういう病気があるんだな、という知らせる意味合いとしては必要であり、また、それを知った人の中から、何かの力になれる人達が出てくる可能性もあるのも確かだと思う。


つまり、賛否両方あって当たり前で、どちらかに決める必要もなく、どちらの要素もあるからこそ、成り立っているのではと筆者は考えてしまう。


病気を知って欲しいからこそ出演する。結果、それが見世物として映る可能性がある。こんな感じではないだろうか。少し言い方が悪いかもしれないが、そういう妥協的な和解策のような認識で良いのではないかと、そう思うのだが。


最近、妙に白黒をはっきりさせたがるような風潮にあるような気がする。いや、悪いことではないのだが、その思いが変に強い気がする。


例をあげれば、震災時必ず現れる『不謹慎』攻撃。被害者自らが言うのであればまだしも、他人の感覚でその意見を押し通す感じが、筆者は少し怖いと感じた。


もちろん不謹慎だなと思う事もあるのだが、少し気にし過ぎなのかもと思えるものまで。それぞれの感じ方なので仕方ないのかもしれないのだが。だが、どうも何だかなと思ってしまう。言っても仕方ないのかもしれないが。


熱しやすく冷めやすい。日本人の特徴らしい。様々な業界で言われている。


そう言えば、ダイオキシンてもう気にならないの?とか意地悪く言ってみる。


あれだけ騒いでいたと思えることが、嘘のようになくなっている。この感じは日本人だけではないと思うのだが、日本人のクレーム的なものは、一時的なものがほとんどだと、よく聞く。あくまでも筆者の交流する内での話だが。


その熱しやすさが、何か悪さしてしまって、不謹慎攻撃へと変化してしまうのではと思ってしまう。


日本人と言えば・・・


筆者はプライベートでも仕事でも海外に行くのだが、その行き先々で現地のコーディネーターというかガイドというか、そんな方々と話題になることがある。


ある種、あるあるだと思うのだが、日本人の考え方に関する話だ。うまく伝える自信がないので、ずばり例をあげると看板だ。注意喚起的なソレだ。

  • 空き巣に注意
  • 痴漢に注意
  • 車上荒らしに注意

全部被害者となる側への呼びかけだ。これがどうも海外の方はしっくりこないらしい。何故、加害者側へ訴えないのか?注意しないのか?が疑問らしい。


すばり、

  • 空き巣に入るな
  • 痴漢するな
  • 車上荒らすな

ということであろう。


言われてみて、そうだなと筆者は笑ってしまった。と同時に、やはり日本人なんだなと考えてしまった。


日本人特有の察しろ的な感覚ではと筆者は思う。直接ではなく、精神面での訴えという感じだ。


良い例がコンビニのトイレで見かける『いつもきれいにご利用ありがとうございます』であろう。


まだ何もしていないのに、精神的にきれいに使用しないとと思わせるわけだ。逆に、『汚すな!』などとビックリマークなどトッピングして表記したならば、この野郎的にわざと汚すような奴が現れるわけだ。そう想像できてしまうわけだ。そう考えついてしまうわけだ。


この感覚が日本人なんだと思う。だからこそ、先の空き巣や痴漢なども、あえて加害者に言わないことによって、周りは用心しているなと、行動を抑制しようとする目的なんであろう。


それこそ、空き巣するななどの攻撃は逆効果になる危険性があると。そういうことである。はずだ。


そう考えれば、ホラーに関しても、日本は居る・居ないや、見える・見えないなど、ジワジワと迫ってくる恐怖が主流なのに対し、海外は生きるか死ぬかのように、直接命に関わる恐怖なのも、うなずけるわけだ。


少し脱線したが、これらのことからも日本人は直接的に言うよりも、精神的な訴えの方が効果があるように感じる。


つまり、何が言いたいかと言えば、不謹慎だ攻撃も伝え方次第で炎上などしないのではと、そう考えてしまう。


ずばり不謹慎ですよと伝えるのではなく、う~ん、例えばだ、


とても楽しそうですね。すべての人がそうであるといいですね。


などの少し嫌味かもだが、この伝え方の方が、もしかしたら言われた方も、何かハッと気づくのではと思うのだが。単純過ぎるのだろうか。


ある意味これも、相手への配慮であり、ある種の思いやりなのではと思うのだが。


日本人の誇りである『おもてなし』の精神に通じる大切なことだと思うのだが。何だかそれが最近、薄まってるようで残念な気がしている。


日本人としての大切なモノを、今一度、考えて欲しいものだ。


というお節介な考えもまた、日本人なのかもしれない。

 


著者:S
『ですね。note』管理人。間違いなく日本人。最近発芽玄米にハマっている。その為、外食の際の白米に感動を覚えている。そんな米へのこだわりと何ら関係の無い今後の記事に、あんたはもう目が離せない。といいな。


ですね。