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運動会の謎

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今週のお題「運動会」

 

運動神経が悪いわけでもなく、足も遅いわけでもない。寧ろ逆なのだ。なのにだ。


あまり好きではなかった。


雨が降れば良いのにと、何度も天に祈りをささげたものだ。一度も僕の声は届かなかったようだが。


親と居るというのが嫌だった。授業参観が嫌いな延長のような感じだ。しかも、弁当なども一緒に食わなければならない。苦痛にしか思えなかった。


別に親の事が嫌いとかではない。虐待されていたわけでもない。一緒に居るところを見られるのが異常に恥ずかしいと思っていた。親と一緒に居るのがだ。


いや、別に母親がブサイクだからではない。ブサイクは本当だがそういう事ではない。言っとくが僕は父親似だ。誰だブス専とか言うのは!


まぁ~小難しい子供だったわけだ。他人の前では親離れしている感を出したかったのかもしれない。大人ぶりたかったのかもしれない。


今思えば、ブサイクな母親と平然と一緒に楽しく食事している方が大人かもしれない。所詮子供だったというわけだ。


ちなみに運動会と言っているので、小学時代という“てい”で進めている。では中学では好きなのかと聞かれれば答えはNOだ。ただ、理由は変化する。


中学では体育祭となり、まぁまぁガチで勝敗を競う感が出始めていた。それがめんどくさかった。


リレーとか足が速い方だった僕は選ばれるわけだ。走らされるわけだ。自分の意志ではない強制だ。それが気に入らなかった。


運動が嫌いなわけではない。むしろ好きだ。部活であれば走るわけだ。と言っても陸上部ではない。陸上部の方々には申し訳ないが、何もなく単に走るというのが嫌いだった。


だったというのは、今であればジョギングなどするからだ。でも基本嫌いだ。ボールを追いかけて的なのが良いわけだ。


高校は地元を離れたうえに、親などの観覧のないシステムだったので居心地としては悪くはなかった。


が、そもそも部活以外での頑張る体育の大会のような、無駄に体力を消耗する行為が好きにはなれなかった。ただ、体育は好きだった。体育の大会みたいな、体育の王様みたいな規模がめんどくさい感を醸し出すわけだ。


この感覚というか、感情というか、僕の思いは大概理解してもらえない。


『え?何で足速いのに』『めっちゃ走ってたじゃん体育の時』『普通に好きそうだけどな』


理由を説明してもこれだ。何で?って理由の理由まで必要なのかと。


こんな気持ちでいた僕には、これといった運動会の記憶がない。ほとんど残っていない。


リレー、綱引き、借り物競争、玉入れ…


種目の存在は浮かぶが、思い出らしきエピソードがない。当時の友人に聞くと僕の活躍的な事を教えてもらえるのだが、僕にはその印象がない。


最近ではあまりないようだが、フォークダンスもしたのに、大きな思い出とはなっていない。当時好きな子と手を繋いだはずなのだが。10数年後に会った時の別人と思ってしまう程の変貌に衝撃をうけたせいではない。結局、そんなもんなのだ。


正直、自分でもこの感情は分からない。


運動が好きで、部活で大会に出るのも嫌いじゃない。何なら全国大会まで出てるわけだ何気に。こんな自慢もあるわけだ。


なのにだ。何故運動や全国大会は良くて運動会はダメなのかと。体育は良くて体育祭はダメなのかと。自分でも謎なのだ。誰か同じ思いの人が居ないかと思いこのお題に挑戦してみた。みたのはいいが何て様だ!


母親がブサイクだとか、小学の時に好きだった人が衝撃的になったとか、2次災害が半端ないわけだ。というか僕はそれ程だが、母親は大怪我だ。どうしてくれんるんだ!まっ母親はいいか。


しかし、そう考えると何故父親は母親を気にいったのか謎だ。若い頃は可愛かったのよと写真を見せられたこともあるが、一切変化のないブスだ。安定のブスだ。笑えないブスなのだ。子供として情けないが真のブスだ。


外見の好みは人ぞれぞれだ。つまり、僕がこれだけブスだと言ったとしても、人によってはそれこそ美人と表現する人も居るかもしれない。限りなく低い確率であってもだ。


ただ、恐らくカワイイはあるかもしれないが、美人は絶対ないはずだ。あるならば、確実に美術1だ。センスゼロだ。気を付けろ。


ちなみに僕は美術は5だ。十段階なら9だ。父親も悪くなかったはずだ。何なら僕より絵のセンスあった。のにだ。何をトチ狂ってんだあの野郎はだ。きっと噂のブスの魅力というヤツのせいだ。まっ、僕が生まれるかどうかの問題なので、もうこの辺でいいだろう。


とにかく僕が運動会を嫌いな感情と父親が母親を選んだ理由はどちらも謎であり、どちらもどうでもいいことだ。


僕にとっての運動会。


それは父親の美的センスを疑問に思う僕の心そのものなのかもしれない。

 

 

 

わけはない。


ですね。