ですね。note

思った事を書くノート。そんなブログ。

一日の終わりに

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いつも思う。看板を見ると。


思い出してしまう。看板を見かけると。

 

 


その日僕は友人の家に来ていた。国道沿いのアパート。交通量は多いとは言い切れないけど、少ないとも決して言いきれない。そんな感じの場所。


大型のトラックが通る度に、テレビの音が若干聞きづらいような、窓がうなるような、そんな雰囲気。雰囲気なだけで実際はちゃんと聞こえてるし、窓も鳴りもしていないのだけど。

 


ピンポーン


インターフォンの呼び出し。モニターには母親と娘の親子らしき姿が。友人が返事をする前に「すみません」と声が聞こえてきた。


「はい」と答えた友人は、少しその母親らしき女性の話を聞いていると、「今行きます」と玄関に向かいドアを開けていた。


野次馬ってわけじゃないけど、少し気になった僕も玄関に向かった。


数分の会話。その数分が何時間にも感じた。


「すみません」そう友人は言い、見送る様にドアを閉めた。ため息と簡単に表したくないような深い深い息を吐き、何とも言い難い感情に、友人も僕も支配されいた。


どっちが先だったか分からないけど「覚えてねーよな」そう吐き捨てるように呟いていた。何度も。

 


友人のアパートのすぐ傍の国道で交通事故があったらしい。その事故で訪ねてきた親子の家族が亡くなったそうだ。その当日、このアパートの駐車場に車が停まっていたらしい。その持ち主を探しての訪問。何かを見てないのか、何か証言してもらえないかという希望を持って。


あとで気づいたのだけど、その国道の歩道に目撃情報を求める看板が立ててあった。〇月×日午後▲時頃、この場所で発生した◆◆と□□の交通事故を目撃した方は・・・。友人宅に来たあの母親の言葉と同じ内容だった。


事故当日のその時刻、友人は仕事で家には居なかった。その内容を告げると、一気に力を失った母親を。それでも、何か知らないかと必死に声をかけてきた母親を。僕は忘れられずにいる。思い出してしまう自分がいる。同じような看板を見かけると。


その日から僕は、何か感じた時、普通じゃないと思った時、時刻を見る癖がついた。その時刻を忘れないように念じている自分がいる。日付と曜日を付け足すように強めに念じている。何かの役に立つかは分からないのだけど、ちゃんと覚えてられる保証はないのだけども、必死に念じてしまう。あの時の自分の無力さが許せないのかもしれない。のかな。きっとね。

 


今日もまた、運転中の信号待ちで目撃情報を求める看板を見た。もう1ヵ月前の出来事を、言わば去年の出来事を誰か覚えているのだろうか。恐らく僕は、覚えていない。覚えていれない。そう思う。思ってしまう。


今じゃドライブレコーダーなるものがある。誰かの車に搭載してて、偶然撮影されているかもしれない。それこそ、当の本人に設置してて、すぐ確認できるケースもある。なのに。まだ目撃情報を求める看板は存在している。


だから。でもないし。誰かの為に。そこまで強くは思えてないけど、何かの役に立てるかもってな思いでやっている。全部を全部やっているわけでもなく、やる基準もどうだかで、意味があるのか無いのかな感じなのだけど。


でも、そうしたいと思う時にやるようにしている。可能なら、一日の終わりに思い出せるくらいになれればいいのだけれど。無理でもしょうがない。強制じゃないからしょうがない。そう思うことにしている。


早く目撃情報があるといいなと願っている。そうだ、また車の時計合わせとかないと。まっ、ナビ見れば良い話だけどね。


念じた内容を覚えているかを、一日の終わりに・・・。というのも良いことなのかもしれないけど。事故が起きないことを念じた方がとか。


考えてたら寝れなくなりそうなので気にしないことにした。


一日の終わりに僕は非道になるみたい。


ですね。