優しさって一体なんなんでしょうね?
唐突に、正に唐突に聞かれた。例のクリーニング屋の店員に。そうかわいい店員に。
優しさとはか・・・
とか思ったが、どうせまた答えたところで流され仕上がり日を言われるだけだ。そうに違いない。
そう思った僕は、なんでしょうね?とQに対してQで返すという救いようのない未解決事件を演じてみせた。正に救急だ。ダジャレだ。
するとその店員はですよね~と、予想通りの言葉を発し、そそくさと僕の持ち込んだ衣類をカウントし全部で6点ですねと、精算へ向け己を貫いていた。
では6点で◇◇となりますと金額を告げるその店員が少し元気がないように感じた。そのせいなのか何なのか仕上がり日がいつもより長めだった。気分次第かこの野郎!とは言えなかったけども。
何だか複雑な切なさを感じた僕は、クリーニング屋を出た後、全く眩しくないのに遠くの空を見ながら目を細めていた。
シブ過ぎると思っていた僕はほんの少しそのまま立ち止まっていた。だが、多くの人には単に限界ギリギリまで我慢し過ぎて1ミリも動き出せずにいる大便カウントダウン野郎と映っていたようだ。お腹押さえてたからかな?
そんな話はどうでも良くて
優しさは何だかんだいって相手次第な気がする。優しさを与えた側がどう思おうが、受け手側が優しさと1ミリもミジンコも感じなければ、それは普通の出来事となるんじゃないかなと。ミジンコはどこいったんだろうなと。
確かにあとで気づいて優しいとかいう場合もあるだろうけども。であれば尚更気づかなければ優しさではないと言えちゃう気がする。
どんなに周りが言おうが、気づこうが、感じようが、当の受けた本人が何も思えないならそれは何でもないことであり、何なら優しさモドキの押し売りをされたとさえ言えちゃうかもしれない。言われちゃうかもしれない。
となればその行為をする側は正に勝手な優しさぼっち野郎だ。意味分かんないけど何となくそんな風に思う。違うかな?
きっとそうに違いない。そう思った僕は仕上がり日にこの内容を伝えようと、つい先日クリーニング屋に行った。
その店員は居なかった。仕上がった衣類のハンガー部分を指に引っ掛けながら僕は車に向かった。人差し指が引きちぎれるかと思った。だから人差し指だけではなく、中指とで対応することにした。見る人が見たら卑猥な形になってるみたいだ。フレミングの左手の法則みたいなアレだ。途中から親指をピンと伸ばし寄せてみた。自分でバカだと思う。何度も心の中でフレミングに謝罪した。
そんな話はどうでも良くて
タイミングって大事だよなとか思いつつ。もしかしたら伝えなかった方が良かったということなのかもしれない。そう思う事にした。ナイスな言い訳を考えた僕は僕に対して優しいと思う←
そんな出来事を切なさたっぷりにいつもの友人にLINEした。
まだ返信はない。きっと、必死で何か動画を探しているのかもしれない。
そう考えると僕は恵まれている。こんな思い付きの、しかも義務もないのに、何かをしようとしてくれる友人がいるというのは。友人こそが優しい人なのかもしれない。
そう思える僕も・・・
という考えが優しさぼっちの定番かもしれない。
ですね。
※友人からの動画ではありません