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涙の反抗期~Rewrite~

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僕は泣き虫だった。今もと言えちゃうけど、これは子供の頃の話。


子供なんだからそんなもんじゃない?鼻をかむたびにくっせー鼻くそが出る君達はそう思うかもしれない。でも、そんじょそこらの子供レベルとは言えないくらい、正にCRYクサかった泣いていた。


転んで、ぶつけて、なんて当たり前。歩いてるだけで、鼻をかんだだけで、鼻くそがくっせーだけで、喜怒哀楽のコントローラーがバカになっているのかと思うくらいクサかった(もうええて


泣きじゃくっていた。


見かねた母親は、何かある度に『男の子なんだから泣いちゃダメ』とくっせー息で呪文を唱えていた。その魔法の効果が出たのは丁度小学3年生になってからだった。


日中、親は仕事で、家の中には自分しかいない日が続いていた。親から課せられる『お手伝い』という名の仕事。宿題よりも難関なものだった。


とは言え所詮小学生だ。まだまだ子供だ。遊びを優先してしまうことがある。いや、あって当然だ。だが、それを許してもらえるわけもなく、親からの愛と言う名の怒りの説教を受けるわけだ。これでもかと。


悔しかった。腹が立った。二度と叱られたくない。そんな感情が原動力となり、どうしたら怒られないで済むのか、どうすれば仕事と遊びを両立できるのか、つまり、要領よくこなすにはどうすればいいのか、そればかり考えていた。考えてたな・・・


そんなことを考えて生きている同年代の子などそうはいなかったはずだ。となれば、必然的に思考のレベルに差ができていたと思う。その影響かどうかは分からないけど、少しなのかもしれないけど、僕はできる子になっていた。


できる子という自信を持った僕は、涙という人間のオプションを捨てた僕は、世の中を見下し始めた。それは同時に人として何かを失った時でもあったと思う。


と言っても、小学時代は何故か大きな問題はなかった。逆に冴えていた僕の脳みそは、職員室に呼び出され、こっそりIQテストの結果を教わるまでに絶好調だった。これは自慢だ。


言っとくが誰もが皆、小学時代はIQが高いらしい。そこから落ちていくというのも普通らしい。つまりさっきの自慢はクソみたいな話だ。誰だお前のIQだださがりじゃねーかと言う奴は!そんなこという奴らに明日起きたら足の親指が3倍の大きさになる呪いをかけた。家中の靴履けねーからなざまーみろ!

 

そんな話はどうでも良くて


とにかく中学になった僕は、人間のオプションを捨てた本領を発揮していく。


僕には親戚が多い。笑えないほど多い。何の大会なん?と思えるくらいのトーナメント表みたいな家系図があるくらい多い。となれば冠婚葬祭の行事も必然的に多くなる。そこで問題が起きたのは葬式だった。


恐らく親以外で、いやこの世で一番僕を可愛がってくれていた叔父の葬儀だった。確か中学2年そんな時だったと思う。


目の前で普通に過ぎていく葬儀。正直なんの感情もなかった。あ~もう会えないのかくらいだった。


今思えば、葬儀だけでも数多くの経験をした。またかぐらいの頻度でだ。慣れてしまうのは必然だったのかもしれない。


火葬後、骨上げ。各自箸で遺骨を拾いあげていたその時、無と化していた僕に母親が突然大声をあげた。

 

「あんた!悲しくないんか!」


可愛がってくれていた故人への思いがお前にはないのか?そんな意味を込めた怒りであろう。黙っていればいいものを中学生と言う肩書が僕を動かした。

 

「泣けば悲しいとかお前の感覚だろ!いちいちウゼェんだよ!」

 

と言いそうになった。
(言うてないんかーーーい)


ただ、頭の中では何度も罵声を浴びせていた。全ての怒りを認識した僕の脳みそは、首を傾けて首の骨を鳴らすという所謂ナメた態度という反撃を僕の体に指令した。今思っても、かったるいという感情を見事表していたはずだ。


母親はメデゥーサの如くメンチビームを発射していた。口からくっせー毒ガスまでもまき散らしながら。僕は完全シカトを決め込んで骨上げをしていた。ちょいちょい首の骨を鳴らしながら。


この日を境に、僕はますます人を捨てていく。


と思われていた。思ってた。自分でも。キレッキレの僕はすぐさま天下上等とか口走りだすと思っていた。でもしなかった。いや、できなかった。正確にはちょっとだけした←


でも人間で居れた。何故か。


それは部活だった。今では珍しいかもしれないが全員加入が校則だった。そう帰宅部は許されない校則違反なわけだ。


必ず何かしらの部活に入部しなければならない。運動部がダメなら吹奏楽などの選択を迫られるわけだ。


校内暴力や不良という過去の経験から生み出した対策らしい。余り余ったエネルギーをスポーツに!音楽に!そんな考えだったようだ。


その対策のおかげで、僕は何とか人として過ごせていたのかもしれない。


中学最後の部活。運動部にいた僕は最後の試合後、まさかの涙が出た。あの抑え込んでいた涙が。支配していたはずの涙が。


ついに主である僕の意志に反し涙は流れ始めた。止まらない涙。正に涙の反抗期だった。それはもはや、反逆と呼んで良いほどの流れっぷりだった。


きっと僕の涙のダムは限界だったのかもしれない。約6年貯めこんだ涙はそう簡単には止まらない。キャプテンだったせいもきっとあったと思う。一応断っておくが自慢だ。


高校に入り、僕の精神が上回り、また涙を封じ込めようとする。限度ないと呼ばれる行為が、半端ないと言われる行為が、えげつねー行為が、全てカッコイイと思っていた。そんな勘違いしていた僕だが、また部活という大雨の影響で、僕の涙のダムは決壊した。


僕は今一歩のとこで人に戻れた。戻れていた。そんな日々を送っていた。送ってきたんだ。


何故急にお前の精神崩壊モドキの話を記事にするんだと、人でなしエピソードを教わらなきゃならないんだと、こう朝から目くその付いただらしのない顔面の君達は思っているだろう。あん?なんだやんのか?ごめんなさいだこの野郎!


というのも、実はあるドラマを見て思い出したんだ。正確にはドラマの再放送てなやつだ。


そのドラマの中で主人公がずっと泣いてなかったせいか、一度泣いたら涙がとまらないというシーンがあったわけだ。それで思い出しちゃったわけだ。


涙は一生で流れる量が決まっている。そんな話を聞いたことがある。それが本当かどうかはこの際どうでもいい。


ただ、今涙活と呼ばれる行為があるように、涙を流すというのはストレス解消にも良いと言われている。実際に僕もしているが、効果はあると思っている。


人間何かを出すという行為はストレスにいいわけだ。涙しかり、愚痴というストレスしかり、もちろん性的な意味でもだ。わかるはずだ。発射ということだ。無限発射編だ(違います


つまり、涙を出させてこそ、流せてこそってわけだ。だから、いざって時に涙が出ないとかは起きて欲しくない。そう思う。


今は何かある度に涙腺が崩壊している僕は、そのおかげで精神が安定していると思っている。ああそうだ、これでもだ。サイコパスとか言われてるこれでもだ。何か文句あんのかごめんなさいだ。


だからこそ思うのだけど、いつかあの日のように、僕の意に涙が反抗して、今度は一切出なくなる日が来るのではと怯えている。わりと本気で。


きっとそんな日は来ないはずなんだろうけど、絶対とは言い切れないのも確かなわけだ。


涙は人間の大事なオプション。人間にとって大切なモノ。そんな気がしている。


皆さんも涙の反抗期にはご注意を。


とは言え、悲しい涙は流したくないものだ。

 

くっせー息も嫌だけどね


ですね。

※Rira