
努力は報われるのか報われないのかという問いに、僕はそもそも努力は裏切らないという表現が正しいのではと思っていました。
必要な努力に達していなくても、そこまで積み上げた努力分は何かしらで反映されるからという考えからです。
その考えは5年前の教えてSさん16trhで答えています。今回、改めて質問がきたというよりは、何で努力をしても掴めないもの(こと)があるのだろう。というまるで心の休憩所のゴミ箱の中にあるようなメッセージをいただきました。
そのメッセージへの回答というわけではないですが、改めて自分の考えを見直してみたというのが既に更新しているPodcastのトークとなります。その補足としての意味がこの記事となります。
聴いた方もまだの方もお時間がありましたらどうぞ聴いてやってくだせー
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2021年の記事
※Podcast貼り直してます
努力
運
熊本県警の発砲
今好きな記事
この番組はヒデリンこと
※一部DOVA-SYNDROMEを使用しています。
番組:秋人、はやく捨てちまえ
実際トークでは努力だけではなく、運についても見直して話しています。どちらも基本的な考え方に変わりはないのですが、よりリアルに考えたというような感じになったと思っています。
では、補足になるのかですが、書いていきたいと思います。
努力とは
冒頭で記したように、基本的な考えとして努力した分だけ反映する。だからこそ裏切らないという表現だと思っていました。
ですが、今はより適切な言葉として無駄にならないという表現ではないかと強く思っています。
その一番の要因は目標にむけての努力に対して、目標としていたものとは別の反映がある。つまり副産物的な努力の成果があるという考えです。
トークと違う例えで言えば、志望校に合格することを目標として、日々努力していたとします。結果その目標は達成できなかったとします。目標に対しての成果としては、苦手だった教科の点数が上がっていたとか、最後に見直していた問題が出たので解けたとか、そんな成果として反映されるはずです。
ですがそれだけではなく、日々勉強するという努力で、以前よりも集中力があがったとか、夜型だった生活が昼型になったとか、食事に気を付けていたこともあり、風邪をひかなくなったという健康面での改善とか、そういう目標とは違う部分で何かしらの成果があると思うのです。
もちろん、最大の目標は達成できなかったことは残念ですが、そこまで積み上げた努力は違う面で大きな成果を生み、無駄じゃなかったと表現できるのではと思うんです。
達成できなかったからこそ自分の足りなかった部分を見直せたり、これは勝手な想像かもしれませんが、ある意味痛みを知ることで、より志望校への思いを強化できたり、或いは違う目標をもったとしても、そこへのモチベーションになったり、もっと言えば、同じような境遇の人や痛みを感じている人への理解力もあがり、より人として成長できるような気もしています。
勘違いしないで欲しいのは、達成できない方が良いというわけではなく、達成できればそれはそれで、自信にもつながることですし、心の余裕という部分から他人への接し方に優しさが加わるかもしれません。
全て勝手な僕の想像での話ですが、間違っているとも言えないのではと思っています。
だからこそ、努力を惜しまないという行為は必ず自分のためになるのだと言えると思うのです。
ただ、目標に対して、適切な方法で、適切な量を行うことが大事なのですが…
運について
5年前の記事で僕は運をアイテムだと表現しています。
アイテムを得ればそれだけで幸福度は上がる。ですが、そのアイテムを使いこなせなければ幸福度は元に戻るのではなく元の数値よりも下がる。アイテムを得なければ幸福度は何も変わらない。
アイテム(運)には大中小の大きさがあり、それぞれの大きさに比例して幸福度への影響も大きい。
こんな感じが基本でした。今の考えもベースとしては同じと言えますが、やはり修正という意味で色々変化があります。
そもそものスタートの幸福度の違いというのが、よりリアルな考えだと気づいたんです。誰もが幸福度50から始まるなんてあり得ないですからね。だからこそ幸福度を上げようとする意欲は変化するとも思います。
また運の大きさの関係性を考えるようになりました。以前は大中小とそれぞれの大きさをどう掴んでいくかしか考えれていなかったのですが、リアルに考えて小さい運を手にしているからこそ大きな運を手に入れられる。入れられる環境になれる。そう強く思うようになったんです。
小さな運を掴むことが、生かすことが、大きな運を掴むための準備だと、正に土台つくりだと感じています。
だからこそ目標を達成するための努力とリンクするのだなとも。小さな運を掴んで生かしていくことで、目標にむけて努力している後押しになるのではと思っています。+αの数値みたいな。
ただ、その小さい運を掴むためには、生かすためには、結局努力が必要なわけで、そういう相互関係にあるのだろうなと、これを書きながら考えています。
終わりましょう
関連に貼った、熊本県警の件と好きな記事の件はトークを最後まで聞いた方の特典みたいにしときまます笑
まっ大した事話してはいないですけどね笑
最後にこれは考え方として言いたいのですが、そもそもが努力も運も数値化することはできないものだと思っています。あくまでも説明するために僕ができる表現として数値化を選んだというだけです。
だから、目標に対して努力したとしてそれが達成できなかったとしても、それは単に努力が足りなかったのではなく、自分より努力した人がいたという認識で良いのではと思っています。
それが他人と競わないことであれば、結果が出なかったのは、自分の力だけでは超えられなかった壁があったからだという認識で良いと思うのです。
超えられない壁に関係するのが、運が関係する部分になるかもしれないのかなとも考えています。自分一人ではコントロールできない領域なんだと思います。
自分でできる最大限の努力はしたけど、必要な量に達しなかったのは、例えば仕事や学校、或いは家庭の時間的な制約だったり、もともとの健康面や体調だったり、それこそ年齢的な限界だったり、もっと言えばお金や環境の問題だってあると思います。そういうどうしようもない運の部分なんだと思います。
だから、努力が足りないのではなく、達することができないどうしようもない壁があったからなんだと。そう受け止めて良いと思います。
もちろん、その結果から実はより良い方法があったのではないかとか思い直すことも大切だと思います。
挑んだ時の知識や経験の結果であって、これからはそれらを踏まえて再び挑むのか挑まないのかを考える材料になるわけですから、やっぱり無駄になんかなっていないと強く言えると思っています。
そうやって自分を自分で称えることは必要なことだと思っています。あなたがあなたを認めてあげることが全ての原動力になると、僕は信じています。
少なくとも僕はそうなのだから。
僕最高←
ただ、ブログの更新の原動力にはならないみたい
ですね。